頼朝は平家滅亡後の文治元(1175)年、頼朝に反抗した義経らを捕らえるという口実で、朝廷の許しを得て、諸国に守護を、公領、荘園に地頭をおいた。守護は、国内の御家人を指揮して大番役の催促と警備、謀叛、殺害人の取締りに任じた。