日本の原子力政策の始まり
戦時中からサイクロトロンにより、世界最先端の原子力研究を行う
しかし、1945年(昭和20)9月2日の第二次世界大戦敗戦後に連合国から原子力関連の研究が以降7年に亘って全面的に禁止された
その後、1952年(昭和27)4月28日に日本との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効、翌年に米国共和党アイゼンハワー大統領が国連総会において「平和のための原子力(原子力の平和利用)」の演説を行ったことも契機となり、再開される
日本の原子力政策は、1954年(昭和29年)3月に改進党在籍の国会議員により、原子力研究開発予算が国会に提出されたことが起点である
だが、その頃の3月1日に南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍による水素爆弾実験により、発生した第五福竜丸被曝事故によって、日本では「反米」「反原子力」の気運が高まる
その最中に当時、衆院選に当選した正力松太郎(読売新聞社主・CIAスパイコードネームポダム)がCIAと連携したと思われる原子力に対して好意的な親米世論を形成するための工作を開始する
[匿名さん]
1955年(昭和30)12月19日に原子力基本法が成立
1956年(昭和31)1月1日には、原子力委員会を設置、正力松太郎が初代の原子力委員長に選任された
1957年(昭和32年)4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、5月19日には、科学技術庁の初代長官に就任した
原子力平和利用博覧会の開催や讀賣新聞と系列のメディア(日本テレビ・ラジオ日本・報知新聞等)を駆使して原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した
日本で最初の原子力発電が行われたのは、1963年(昭和38)10月26日であり、東海原発実験炉(茨城県那珂郡東海村)のJPDRが初発電を行った
これを記念して、毎年10月26日は「原子力の日」となった
初送電は、1969年(昭和44)11月16日に現在の日本原子力発電(日本原電)敦賀原発1号機が初めての原子炉である
そして、1970年(昭和45)3月15日から9月13日に大阪万博会場に当原子炉から電気が送られた
その後、関西電力美浜原発1号機からも当会場に送電された
背景には、原子力潜水艦構想と読売新聞、日テレ、保守大合同、ディズニーが潜んでいた
余談だが、1959年に米国カリフォルニア州アナハイムに出来たディズニーランド・カリフォルニア・アメリカに「潜水艦の旅」というアトラクションが完成した
驚くことにこのアトラクションの艦名が、原子力潜水艦の艦「ノーチラス」「トライトン」「シーウルフ」等その他米海軍所属の原子力潜水艦の艦名と同じなのだ
理由は、アトラクションのスポンサーが原子力潜水艦製造メーカーと米海軍だからだ
詳細をもっと知りたい方は
「原発・正力・CIA-機密文書で読む昭和裏面史~有馬哲夫 著」
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[匿名さん]
ウォルト・ディズニーはユダヤ人
ディズニー社はユダヤロスチャイルド系企業
[匿名さん]