>>166
賀集は池田中学で全道大会優勝投手だったような…
昭和48年49年は向峰、昭和50年〜52年は賀集、昭和53年54年は浜崎と竜谷黄金時代は好投手が常にチームにいましたね。
賀集は1年生の夏習志野戦で投げたのが最初で最後の甲子園でした…
2年夏、3年夏と北北海道大会決勝で2年連続で釧路江南に1−0で惜敗。好投手でありながら、ツキと運がなかったかな…
53年〜54年の浜崎は2年夏の甲子園で3回戦まで進出も、3回戦岡山東商に一時は、2−0とリードしながら中盤で相手の本塁打等もあり、惜しくも4−2の逆転負け… 昭和48年向峰投手で初出場の時も、3回戦今治西に延長で3ラン打たれてのサヨナラ負け。今治西も岡山東商もその大会で準決勝進出しているので、当時の竜谷は、間違いなく全国レベルだったと思います。
竜谷黄金時代を語る中で、今だに思い出すと残念でならないのは、2年夏に3回戦まで進出した浜崎が、3年生になった昭和54年。
春季全道大会を圧倒的に勝ち、初優勝して、優勝候補の大本命だった夏。稚内で開かれた北北海道大会、準々決勝で釧路工に、不運も重なり、まさかまさかの3−2敗退。 もし、あの時のチームが甲子園に出ていれば、対戦相手次第では、北北海道勢初の8強くらいは達成できたのではないかと冗談抜きに思います。
実高が8強に行った時より、絶対に強かったと思いますね。
久しく甲子園に出てませんが、私もアイボリーのRYUKOKU、出場回数を現すボールのマークが7つが見たいですね。
途中、ボールマークから★に変わりましたけどね。
今はボールも★も付いてませんが…
長々と長文失礼しました。