著名な受刑者 花輪和一漫画家
埼玉県大里郡寄居町出身。中学生になってから伊藤彦造などによる絵物語の挿絵に大きな影響を受け、絵を描くことへ没頭するようになる。かねてから義父との折り合いが悪いこともあり中学校を卒業後に上京、工場に務めながら雑誌の挿絵を描いていた。やがて「ガロ」に掲載されたつげ義春の『ねじ式』に刺激を受けて漫画を投稿し入選。当時は自ずと湧き出る憎悪を漫画にぶつけていたという。丸尾末広と並ぶ「耽美系」「猟奇系」作家と称されるようになる。
デビューから数年後に休筆したが、ある新雑誌の創刊で依頼が来たのをきっかけに、中世の日本を舞台にした怪奇ファンタジーを描くようになり、次々と傑作を世に送り出す。
しかし1994年12月11日、銃好きやメカ好きが高じて改造モデルガンや故障した拳銃を修理した物、ライフル銃と実弾116発を所持していたことについて銃刀法違反容疑で北海道警察(札幌警察)と警視庁の警官に逮捕され、豊平警察署に連行された。当時東京に住んでいたガンマニアの友人から逮捕前に拳銃を処分するように頼まれていたものの、どうしても処分する事が出来ず自宅に保管していた。そしてその友人が逮捕された事がきっかけとなり、花輪自身も早朝に自宅に踏み込まれて芋づる式に逮捕されたと言う[2][1]。
[匿名さん]