>>900
正直いうと博多・中洲は、95年まではそこまでマットに力をいれてたわけではないんだ。それはまだ大衆店のNSで十分に風俗店は潤っていた。また95年が分岐点になる。93、94年で性病感染が小倉で流行しはじめ、95年には素人のたちんぼからHIV感染者が現れる。しかも19歳で・・・。ここで知事がブレーキをかけるために市長に取り入れ、中洲1丁目の総会でマンビルを建設する計画を発表する。そしてスキン着用の店舗をテナントにとういう計画も入る。また福岡市長が歓楽街は重要な観光地であり、性風俗は福岡の文化には昔から欠かせないものであるため、力をいれて立て直したいと言われ、ここからが再スタートとなる。その年が96年スタート開始。中級店を増やすのとスキン着用を義務付け、マンビルへのテナント、高級店も増やし高級店らしい接客、そして技術を取り入れる。そして漸く、マットプレイにも力を入れる事になる。更に本家本元の川崎からのマットプレイを取り入れるようにした。ここで関東と大きく違うのは、NS,生で挿入を行う。ここは法令違反になるので、素股、手で行うというのを建前にしていて、実際は生挿入で行う。
ここで今でも言われ続けられるのは、九州は生NSが主流のため、兵庫から上の出稼嬢は敬遠をするようになる。