田川の暴走族3人が知り合いの工員の車盗もうとして見つかり半殺しにして奪って逃げようとしたけど犯行がバレるの恐れて旧犬鳴トンネル近くに運びドラム缶に入れてガソリンかけて焼き殺した!
[匿名さん]
1988年12月9日に福岡県警は、田川郡方城町(現福智町)の犯行グループリーダーの少年(19歳、行商手伝い)を含めたグループ5人(16-19歳)を、殺人と逮捕監禁容疑で逮捕した。調べでは、2人の少年が同年12月6日夕方に、田川市内で帰宅途中の工員(20歳、方城町)の軽乗用車を見つけて、「車を貸してくれ」と頼んだ。しかし断られたことに腹を立て、工員の車を奪った上で、仲間の家に工員を監禁した。その後、少年らグループ全員で、久山町の犬鳴隧道(旧犬鳴トンネル)まで連れ去った。その場で工員の手足を縛り、ガソリンをかけて焼殺した疑い。その後、主犯は無期懲役判決を受けている。
[匿名さん]
軽トラの貸し借りでもめたんやなかったっけ?
田川だったかな
[匿名さん]
田川人とかてと関わるとろくな事無い!田川人は隔離してくれ!
[匿名さん]
事件は、昭和63年12月7日に起こった。
被害者は、田川郡内に住むUさん(20歳)。地元のT工業高校を卒業後、スチール製造工場に就職。
10万円の給料のうち、7万円を母親に渡すほどの孝行息子で、軽度の知的障害があったが、内気でおとなしい青年だった。
7日の夕方、仕事が終わった彼は、いつも通りまっすぐ家に帰ろうとしていた。
そしてたまたま信号待ちをしていたところ(青信号だったら彼は死なずにすんだ)以前から面識があった主犯の少年(19歳)ら16〜19歳の少年5人(いずれも田川郡・田川市に住み、一部は田川の暴力団)に、ガールフレンドとのドライブ用に、「女を送るのに格好つかんたい。車を貸せ」と言われた。
「補足」
ここの次から、よく判らなかったのですが、いくつかの説があるようで、調べた結果を補足します。
詳しく知っている方は、助言お願いします。
○苅田港から海へ落とそうとする。
○力丸ダムに沈めようとする。
○犬鳴峠のガードレールの崖下へ落とそうとする。
●それを断り、青信号になったと同時に車を出して振り切った。
運が悪いことにすぐ次の赤信号で、真面目な若い工員は、車を止めた。
そこで、追いかけて来た不良少年たちに捕まり、袋だたきにあった。
悪くもないのに、受けているリンチから逃れるために 謝りつづける若い工員を、少年達は手足を縛り車のトランクに詰め込み、犬鳴峠へ向かう。
[匿名さん]
●それを断ったため、拉致される。
深夜2時、見張り役少年が寝込んだすきに監禁場所を抜け出し、家に向かって 2キロも歩き続ける。(周りに家や通りがかった車に助けは求めなかった)
しかし再び路上で拉致される。
犯人達は苅田港に蹴り落とそうするが 岸壁のフェンスにしがみつき「助けてくれ」と泣き叫ぶ彼の手にバールを
打ち下ろす。
顔は変形しフェンスをつかんだ手から血が流れる。
やがて彼は ぐったりし声も出さなくなったが打たれても打たれても手だけは離さなかった。
「もう、いいやろ。かわいそうやから、やめよう」と声が上がるが主犯の少年が
「俺たちは殺人未遂の共犯やけんな。捕まらんよう殺してしまうぞ」
彼は車のトランクに押し込まれさんざん殴られる。
犯人達は手が痛くなると クランクやナットを取り出しそれで殴り続けた。
その後、力丸ダムに沈めようとするが「死体が浮いたらバレる」と中止。
「顔がわからんよう焼き殺そう」 と犬鳴峠に向かう。
●不良少年たちの運転する 工員の車は 犬鳴峠へと向かった。
峠に到着した少年達は工員をさらにリンチした。
少年たちの一部は殺すつもりはないため、リーダーを止めた。
しかしリーダーは、殺して証拠を隠滅する道を選んだ。
ガードレールの下に広がる崖、そのガードレールに必死に捕まる工員、 その手を工具で殴りつづける少年たち。
崖に落ちた工員は死ななかった。
必死に傷だらけの体で崖を登った。
それに驚いた少年たちは、工員にさらなる暴行を加える。
極め付けには、ガソリンを体に浴びせ火をつけた。
[匿名さん]
●旧犬鳴峠に着き、ガソリンを頭からかけたところ、被害者が悲鳴をあげ それがトンネル内に響き渡った為、犯人らは一瞬ひるむ。
そのすきを 見て逃走。トンネルを抜け、雑木林を逃げ回り、山中を駆け登った。
少年らは 「悪かった。謝る。もう何もしないから降りて来い。嘘はいわん」と呼びかけ
それを信じて降りて来た彼を、トンネルから150メートル離れた路上で再び捕まえた。
泣き叫ぶUさんの口に、シャツをちぎって押し込み、両手足をシャツで縛る。
大きな石で頭を5回打ち付け、その割創傷は7センチに及び血しぶき がガードレールまで飛んだ。
それでも「助けてくれ」と命乞いをする彼に、ガソリンをかけ ライターで火をつけたチリ紙を放り投げる。
かけられた石油はわずか0.7リットルだったとか。
つまり中途半端に燃えて、とても苦しんだそうだ。
また、主犯格は、手下の人間に1人ずつ役割を分担させた。
ジャンケンか何かで、ガソリン買って来る役、チリ紙に火を付ける役、火の付いたチリ紙を放り投げる役など・・・。
被害者はのたうち回り焦げた衣服が ガードレールにべったりとこびりつく。
転げ回った末、トンネルの入り口 まで走り、そこで力尽きて倒れた。
一旦その場を離れた少年らは、現場周辺を(車で?)ぐるぐる回り、Uさんの焼却状況を確認するため、3回も現場に戻っていた。
[匿名さん]
執拗に暴行されても、絶対に死にたくない、死ねない強い気持ちが伝わってくる。悔しかったろうね。何も悪いことしてないのに。
加害者は、どうなったの?
[匿名さん]
その後、ヤンキーたちは飲み屋で「さっき人ば焼き殺した!」とご機嫌に言い放ったのだとか。
梅山さんの死因は頭からの出血ということでした。
失血死するまで生きたまま体を焼かれるという想像を絶する痛みと苦しみを受け続けたのです。
翌日昼、梅山さんの遺体は発見され、その後ヤンキーたちは逮捕されました。
1991/03/08、福岡地裁で行われた控訴審判決において、主犯(21、犯行当時19。福岡県田川郡の露天商手伝い)の男は一審で無期懲役を言い渡され、「確定的な殺意はなく、量刑は重過ぎる」と減刑を求めて控訴しましたが、前田一昭裁判長は「犯行は他に類例を見ないほど残虐。 被告はその中心的な役割を果たしており、責任は重い」としてそれを棄却、他のメンバーも有罪となりました。
[匿名さん]
今、加害者達は44〜47歳くらい?
関わった者全員が加害者だよね。全員、社会的にも制裁されるべき。
[匿名さん]
スレ主、お前は何が言いたいの?
質問する前にネットで調べろ!
[匿名さん]
どうなったの
被害者は知的障害の普通な子やったんやろ
[匿名さん]
嫌な光景を思い出しました。
当時10代だった若き頃、事件の翌日に現場に行きました。
車が離合ギリギリ可能なくらいの、広い道路ではなかったと思いますが、道路の端と端の草が丸焼けになってました。
生きたまま火をつけられ踠き、道路の端から端まで転がったと思います。
現場を見た帰り、しばらく全員無言でした…
[匿名さん]
犯人5名のフルネームを公開して頂けないでしょうか?
[匿名さん]
人を焼き殺した?
お前らも一般人ヅラして、弱い人間を踏み台にして生きていることに気づけよw
自分だけはそんなことしない?
焼き殺すのと、敗者踏み台にしてるの同じやんけwww
[匿名さん]
おいコラ。
俺は田川者やけど
なんかキサン文句あるんかちゃコラ。
たしか、こんな方言だったよ。↑
昔、絡まれてバリ怖かった…ブルブル
[匿名さん]
まあ、ヤンキー、ヤクザ、極悪犯罪者は悪霊に取り付かれてる。 お祓いしたら顔がかわるやろ。
[匿名さん]
クソ田川のボンクラやろ?
田川っち言えばビビると思っとろーがw
昔はよく、ボテクリまわしに行ってたなぁ〜
[匿名さん]