>>692
歴史としては1602年細川忠興が行橋今井浦から優秀な漁師を当時無人の蓬莱島に移住させ小今井村と名付け、1604年忠興が小今井にて酒宴に招かれたとき娘が産まれたとの報せが届いたのを記念して子祝と改称した後に小祝となったってことらしいです。
蓬莱てのは元々中国の仙人の住む場所で転じて日本では人が行けないような場所を指すようです。て蓬はヨモギ、莱は雑草とか荒れ地を指す言葉なのでそれ以前に小祝に人がいたとしても極少数だったでしょう。
小倉は細川の本城、中津は隠居城だったから小倉葛原から越されたて話も興味深いですね。葛原は海がないので移住したとしたら漁師ではなく、別の理由があったのかもしれません。ちなみに名字伺うのは良くないかもしれませんがその方は漢字一文字の名字ですか?園さんではないほうの一文字。
小祝ができる前から、海側に近い場所は喜連島(きつねじま)と呼ばれてましたが、こちらも丈の高い草だらけの荒れ地で文字通りキツネがたくさんいたからきつねじまと呼ばれたとのことです。