>>259
勉強不足だね!福沢諭吉は佐賀と藩が違うから敵視しただけで物事すんでからは大隈重信とも交流してたよww
福沢諭吉は大隈重信が佐賀出身である事にも注目していました。
門閥制度は親の仇と公言し、ベストセラー『学問のすすめ』でも「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と書いた福沢は、明治政府の薩長閥に対しては根本的に対立感情を持っており、薩長閥ではない大隈に目をかけていたとも言われています。
一時期の福沢諭吉は、参議である大隈重信配下に門下生を送り込み、憲法の草案作成を行わせようとしていました。結果として、伊藤博文らが大隈・福沢派を政府から
追放した明治14年の政変により目的はとん挫してしまうのですが、以後も二人の交際はつづきました。