40㌢砲と46㌢砲射程距離どう違うの?
威力もそんな変わらないの?
[匿名さん]
射程距離
アイオワ級→38km
大和型→41km
威力の違いまでは解らないけど砲弾の重さ
アイオワ級→1t
大和型→1.5t
ですね。
[匿名さん]
確かに精度はアイオワが上だけど大和の重要区画には距離二万でも貫通出来ません。
逆に大和の攻撃は距離三万八千でも何処に当たろうと貫通します。
重要区画以外に当てなくてはならないアイオワと当たりさえすれば何処でも構わない大和。
単純に的としてはアイオワの方が大きいですね。
[匿名さん]
大和の方が明らかにデカイよ。世界最大の戦艦って有名でしょ?
[匿名さん]
アイオワの方が少しだけど長いですよ。高さは知らないけど。
船の装甲は均一ではないのです。火薬庫や主砲等重要な部分を厚くしてあります。
大和のその重要区画は全体の五割程。
半分はタワシ、半分はパジェロのダーツと全部パジェロのダーツみたいな感じですかね。
[匿名さん]
船体幅知らないのか?全体的に見れば大和がデカイって!
[匿名さん]
知ってるよ。当たって効果がある範囲の問題だってば。
[匿名さん]
弱点を狙わなきゃいけないアイオワと、ただ当てればいい大和だったら、大和の方が楽って事ですよね?
間違ってたらすみません
[匿名さん]
アイオワの41㌢弾を受けて船体自体に大したダメージが無くても衝撃で主砲射撃方位盤が故障し主砲の一斉総射が出来なくなる。この事はレイテ沖海戦で実証済。
[匿名さん]
改修されたかどうか記憶にないが、戦艦の攻撃力について重大な事なので何らかの処置対策はされたと思う。しかし大和最後の戦いを見ると主砲一斉射は3回しかしていない。内容は…12:30米艦載機攻撃を開始し大和主砲対空弾発射。12:41船体後部に最初の命中弾を受け後部射撃指揮所.レーダー室が壊滅。それ以降主砲を発射していない。改修されていたとしてもこの結果を見れば衝撃に弱い機械式方位盤を補強しても限界あったと思える。
[匿名さん]
そもそも金剛型を主敵としてるアイオワ級vs大和型って無理があるな。モンタナ級でも建造してれば確実にモンタナ級だと思うけど。
[匿名さん]
サウスダコタ級にすら勝てないよ!モンタナ級ならフルボッコ確実
[匿名さん]
確か武蔵がやられた時艦長がその弱点を指摘してたはず。それも余り活かされなかったのか…
[匿名さん]
空母作っても、艦載機は無い、搭乗員も居ないではどうにもならん。
[匿名さん]
搭乗員を大事にしてないから、遅かれ早かれ結果は同じ
[匿名さん]
日本の戦闘機は運動性重視の上級者向きだからね。
ビームライフルの威力を見たシャア曰く
当たらなければどうという事はない←日本機
アメリカの戦闘機は格闘戦には不利だが
パイロットの生存率が高く未熟なパイロットも経験を積んでエースに成長する。←ガンダムとアムロに近いか?
[匿名さん]
この頃は既に、航空戦が主流だったよね。海軍将校の「源田大佐」は、「戦艦よりも飛行機だ。これからの戦争は飛行機が主役になる」と言ってたから、もっと戦闘機や爆撃機を増やすべきだったのかも。(彼は大和に ついても否定的だったしね)
[マイク]
一部の人はそうだけど全体的には「海戦の主役は戦艦」だったから仕方無いかと。
日本は他国と比べて気付くのが早かった方ですよ。
[匿名さん]
レパルスとプリンスオブウェールズを撃破して航空機時代の幕開けと大和沈没で大艦巨砲主義の終焉。
ドラマチックですなぁ…
[匿名さん]
気付くのが早かったのに何で強引に大和を出撃させたんだろ…?理解不能ですね。源田でも止める事は出来なかったのかな?
[マイク]
気付いた時にはもう作った後だしね。
戦艦は軍事的な他にも政治的な意味合いもあるしさ。
「どうだ!凄いだろ?」みたいな。
当時、空母機動部隊なんて日本とアメリカくらいで他国は論外。アメリカですら戦艦造り続けてたじゃない。
源田は所詮「大佐」だしね。
戦後は空将にまでなってブルーインパルスの生みの親にまでなった凄い人ではあるけど当時は変人扱いじゃない?
[匿名さん]
513さん。 でも「大佐」は結構 発言権が あると思うけど…ヤッパ将軍クラスにはダメかな?
[マイク]
大佐は会社なら部長って所でしょうか。
部隊編成に対して発言は出来ても最終的な判断は将官である社長、専務、常務等の経営陣ですからね。
戦術ではかなり発言力あったと思いますが戦略での発言力は大した事無いんじゃないですかね。
[匿名さん]
真珠湾からミッドウェイ海戦までの南雲機動部隊の戦術運用には航空参謀源田中佐の意見具申などの発言力が強かった。航空の事など素人同然の南雲首脳部は何かと源田に意見を求め実質、一機動部隊を中佐が指揮していたと言ってよかった。ミッドウェイの敗因の一つに源田の意見具申があったとされている。
[匿名さん]
源田は大戦末期に各地から優れたパイロットを集め(343空)そして巻き返しを しようとした。事実、この おかげで、昭和20年3月19日の、「呉」地区での空戦では日本が勝った。(使用戦闘機は紫電改)この人の人物的な性格とかは分からないから別として、指揮官としては凄いと思います。
[マイク]
特攻隊の発案や桜花の開発に関わったとされてるよね。
自分の部下を特攻で死なせた大西は自殺したのですが…
[匿名さん]
3/19の航空戦では343空は敵機58機撃墜で大勝利となっているが…その日343空と交戦した米部隊の損害記録によると実際は撃墜数8となっている。逆にこの日の343空の損害数は10数機。
[匿名さん]
当時過大戦果は当たり前だし話半分で良いんじゃないですかね。
アメリカが九州に強い部隊がいるって警戒してたのは確かだし。
[匿名さん]
343空の出現で警戒感を持った米海軍任務部隊は新型艦載機ベアキャットを早期配備するようを本国に要望を出している。
[匿名さん]