高めの140キロ前後が、本当にホップしている(ように見える)。 あのホップ成分抜群の快速球を、1年生のこの時期に投げられるとは。1997年、高知商の2年生で夏の甲子園に出場してきた藤川球児(元阪神)にも匹敵する。 「テークバックで結果後ろに引っ張るわりに、トップできれいに右手が上がる。トレーナーさんも、肩の回転が柔らか過ぎるぐらい柔らかいって、びっくりするぐらい。可動域が広いと痛みが伴うこともあるんですけど、響の場合は、野球を始めた小学生以来、一度も故障したことがないんです。体も強いんでしょうね。佐賀の監督さんたちの中には、唐津商の北方悠誠(2011年横浜1位指名)の1年生の時より、はるかに上だって言ってくださる方もいらっしゃるぐらいで」 1対1の同点、緊迫の試合終盤でも、平然と自分のペースで三振を奪いながら、タイブレークの初球でも、左打者の内角いっぱいに140キロの速球をきめて、表面がムダに燃え過ぎないのがいい。 兄貴を相手に、甲子園で投げられるのが嬉しくてしょうがない……といった表情で、程よく「内燃」しながら全力投球。真横にキュッと鋭く動くスライダーなど、大谷翔平の「スイーパー」のコンパクト版に見えていた。 「兄貴がキャッチャーっていうのが、いいですよね。『オレに向かって、思いっきり投げてこい! 』みたいでね」 大坪監督の声が、もう一度弾んだ。 兄貴の松延晶音捕手、中学時はシニアで外野手だったという。 「入試でトップの成績で入ってきたほど頭脳明晰。もともと、肩は抜群に強かったんで、『キャッチャーができんかなぁ』と。性格的に、人の前に出てこないタイプだし、黙々とコツコツ努力できて、適性あるんじゃないかなと思ってマスクかぶってもらったら、すぐノートに書いてきましてね、『どうして僕がキャッチャーなんですか? 』って。すぐアンサー返して、たぶん、納得してキャッチャーやってくれてると思いますよ」 初心者なんだから、1年間はどれだけ失敗してもいい、の約束で始めた捕手修業。 「いや、もう、さんざんやってくれました(笑)。だけど、そのおかげで、県を代表するぐらいのキャッチャーになってくれましたからね、えらかったですね」 富山商戦の勝利は、佐賀県代表として、10年ぶりの「1勝」だったそうだ。