>>833
日本の創成期のプロレスは大手新聞社もプロレスを扱っていました。テレビもNHKでも試合を放送していました。
当日プロレスは事前に結果が決まっていた娯楽的見世物とは知らなく、世間は真剣勝負だと思われてました。しかし、力道山のパートナーだった木村政彦が自分の待遇(やられ役)に不満を持っていて、プロレスの内幕をマスコミに暴露いたんです。更に真剣勝負なら自分は力道山に負けないと挑戦状を叩きつけて、所謂「昭和の巌流島」として力道山と対戦したんです。
しかし、この対戦の詳細のメモ書き(今のブック台本)がマスコミに流出してしまったんです。
それ以降大手新聞社もNHKもプロレスを扱わなくなりました。
これがプロレスが八百長として今も根強く残る結果になってしまったんです。