>>80 そろそろ返事してみたら?学者なんだろ?
#23 2021/12/07 20:15
琉球政府として施政権が移った1952年にバラバラだった郵政事業を統一。郵政は日本国が主導。切手も統括的事務管理も日本国
建前は軍政府の扱い。米国は先に日本通貨の使用停止。次に日本切手の使用禁止。一年の混乱期の中、切手をまず復活。
スタート時は無料にしてた。
通貨は軍政府の軍票。後にドル。通貨は割愛ここでは郵政の話をする
混乱期に消印の問題が出て郵便局の所長の印や特注消印(無許可)でこなす。
あるたった一部の郵便局は米軍が占領したからもう日本じゃないと誤解して"外国年賀"のゴム印を作成。
それをしばらく使う。他の大半は普通に"年賀" ゴム印が無いとこが多かったので押印なしもあり。
中には特別年賀と訳も解らんゴム印も登場。これも数カ所、琉球年賀まで出現
落ち着いた頃に全て統一して普通に"年賀"になる。4-5年指導した後は琉球政府に事務移管。1972年まで
[匿名さん]
#26 2021/12/07 23:21
>>0
>1953年1月に那覇中央郵便局管内から投函された年賀状に「外国年賀」のスタンプが押されていたのが動かぬ証拠である。
>その年賀状はグーグルで「尖閣 外国年賀」と検索すれば一番上に出てきて、実物を見ることができる。
おおーぃ、そろそろ返事くれよ。ちゃんと史実に基づいて確たる知識で当時のゴタゴタと所長レベルで好き勝手にやらかした事情も踏まえて
当然知識として知ってた上での書き込みなんだろ?なら返事くれよ。これ
ごく一部の琉球年賀でも所長レベルでやらかした外国年賀でもいいから説明ヨロ
動かぬ証拠についてとりあえず語れや。
[匿名さん]
#27 2021/12/07 23:28
良スレ認定