当時はライバルに仙台三高に平井厚志がいたな‼東北では敵なしの伊達政宗だったな。東北の王者として栄冠を狙ったが失敗した。
[匿名さん]
仙台三校には平井の後輩、名取も全国区のランナーだったな。
[匿名さん]
大竹高校が中国大会でライバルだったな!中村訓生とかいたな!
[匿名さん]
こんなスーパースターはこれからも現れないだろう‼存在感が周囲を圧倒する‼
[匿名さん]
長尾の前に長尾なしだな!現在の記録では負けているが、当時の方が見るべきものがたくさんあった。
[匿名さん]
長尾君時代は、名脇役がたくさんいたね‼京都の三日月淳や徳島の稼勢恵一郎、群馬の中村、神奈川の臼井、仙台の平井、山形の星川、千葉の薮中、北海道の小山等、数えたらきりがないね‼
[匿名さん]
長尾隆史さんは永遠のヒーローだな。現在まで、こんな人の存在感のある選手はいない。こんな人が出てきたらもっと陸上会も面白くなるのにね❗
[匿名さん]
中村という前橋工業の選手も瀬古利彦の刺客として活躍していた。
[匿名さん]
大学卒業後も現役を続け、日本の第一
人者として代表の座を見事に射止めましたが、このボイコットによってモスクワでの快
走は水泡と化してしまいました。五輪開催中にはどんな気持ちで中継や報道に接したの
でしょうか。「推して余りあり」です。4年後のロサンゼルスオリンピック代表を目指
して、日本の第一人者であり続けた彼でしたが、残念ながら代表に選ばれることなく、
程なくして現役を退きました。その後、郷里で教鞭をとり、指導主事や課長としてスポ
ーツ振興を支えた彼は、4月から岡山県立水島工業高校の校長として勤務しています。
第二次世界大戦では「学徒出陣」や「特攻隊」等で多くの若者が亡くなりました。そ
の中には幾多の有望選手達も含まれていました。また、「郷土の雄」沢田文吉先生(ヘ
ルシンキ五輪棒高跳6位入賞)のように、敗戦国として1952年(昭和27年)まで五
輪出場が認められずに、選手としてのピークを過ぎて金メダルを逃した選手も少なくあ
りません。
[匿名さん]
何気に地元ローカル新聞の記事をネットで拾い読みしていたら、「宮間選手らに山陽新聞体育賞 ロンドン五輪など活躍たたえる」という記事が目に入った。
オリンピック選手は、練習・競技のほかにも表彰でお忙しい、年が明けてもお忙しい、宮間も福元も、もう岡山の表彰会の常連さんになってしまったなぁ〜、などと思いながら読み始めてみると「選考委員の長尾隆史・岡山県スポーツ振興課長」という文字で目が止まった。本文にたどり着く前である。この「長尾隆史さん」を知っている人はいますか?、岡山県人なら知らぬとは言わせない、ものすごい方なのであります。
元 400mH アジア大会優勝、元 オリンピック日本代表選手なのであります。しかし残念なことに、そのオリンピックとはモスクワでして、唯一ボイコットして不参加になった大会です。そう、代表には選ばれたけど、競技場には立てなかった幻の五輪選手なのであります。しかし岡山県のオリンピック選手として忘れてはならない選手の一人なのです。
オリンピックの舞台に立てなかったオリンピック選手が、オリンピックに出場した選手に賞を贈る、いったいどんな心境なのだろう、考えるだけでぐっとくる。
[匿名さん]
私は山形県にいますが、長尾隆志は今でも英雄です‼高校時代の活躍が超スーパースターだったから、憧れの的でした。
[匿名さん]
長尾が活躍していた当時の時代は、各地に強豪が揃いまさに黄金時代だった。面白い時代だったな‼もう一度あの時代に戻りたい❗
[匿名さん]
やはり長尾にとっては、中国大会でライバルの大竹高校との戦いだったのではないかな?
[匿名さん]
仙台の独眼竜平井や関東の北条、臼井らのライバル関係は実に面白かった。
[匿名さん]
中国大会の岡山工業対大竹高校の対戦は見ごたえ十分だった。
[匿名さん]
高校インタハイ東京大会は長尾にとりスターへの序曲だった。
[匿名さん]
中国地区のニ強の大竹対岡山工業の勝者が全国を制する時代だったな✨
[匿名さん]
幻のモスクワ五輪日本代表選手
岐阜市立岐阜商業高等学校校長林田仁
毎年、インターハイ県予選や地区のインターカレッジが開催される今の時期になると決まって思い出すことがあります。1980年(昭和五十五年)大学を卒業して岐阜県の高校教員に採用され、県立中濃高校に赴任した年のことでした。この年に、共産圏で初めてソビエト連邦の首都モスクワで夏季オリンピックが開催されました。しかし、前年12月にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻し、これに反発したアメリカ合衆国が抗議のボイコットを強行しました。アメリカ合衆国と親密な関係にある日本もこの年の2月に、追従してボイコットすることになったのです。日本オリンピック委員会(JOC)はこの日本政府の決定に反発して、その後も出場を模索しましたがままならずに不参加が確定し、金メダルの常連種目の柔道や体操競技、バレーボール・レスリングなどをはじめ、開催全種目において代表選手を選考し、モスクワ五輪日本代表選手としてその名を後生に残すことになりました。これらの選手達がいわゆる「幻のモスクワ五輪日本代表選手」なのです。開催前に代表選手達の記者会見が行われ、陸上競技男子マラソン代表の瀬古利彦選手や柔道無差別級代表の山下泰裕選手、レスリングの高田裕司選手らが涙ながらにカメラに向かって派遣を訴えるシーンが今も目に浮かびます。
[匿名さん]
陸上競技の代表18名の中には、母校筑波大学陸上競技部の同期生で主将を務めた長尾隆史選手が400mハードル代表に名を連ねていました。400mを高校新記録で全国制覇した彼は、大学進学後も400mハードルで日本人初となる50秒切りや、1600mリレーのエースとして、チームをまとめながらインカレで大活躍するに留まらず、日の丸を胸に付けて何度も国際大会に出場していました。在学中は、毎日壮絶なトレーニングを自身に課す中で、どの講義も休まずに最前列で懸命にノートを取る彼の姿に、同期の誰もが感動を覚えていました。しかも、リーダーとしての思いやりに富み、明るくお洒落で、流行に敏感な彼の悪口を言う仲間は一人もいませんでした。ある年のインカレでハードルを引っかけて転倒したことがありました。人知れず、スランプや故障に悩んだ事も多かったと思います。大学卒業後も現役を続け、日本の第一人者として代表の座を見事に射止めましたが、このボイコットによってモスクワでの快走は水泡と化してしまいました。五輪開催中にはどんな気持ちで中継や報道に接したのでしょうか。「推して余りあり」です。4年後のロサンゼルスオリンピック代表を目指して、日本の第一人者であり続けた彼でしたが、残念ながら代表に選ばれることなく、程なくして現役を退きました。その後、郷里で教鞭をとり、指導主事や課長としてスポーツ振興を支えた彼は、4月から岡山県立水島工業高校の校長として勤務しています。
[匿名さん]
福島、5カ月ぶりレース復帰=全日本実業団陸上
9/21(土) 19:48配信
時事通信
福島、5カ月ぶりレース復帰=全日本実業団陸上
復帰レースの女子100メートル予選に出場した福島千里=21日、大阪・ヤンマースタジアム長居
両アキレスけん痛で実戦から離れていた女子短距離の福島が、4月のアジア選手権以来、5カ月ぶりにレース復帰した。100メートル予選で追い風0.6メートルの条件下、12秒25で敗退。「まずスタートラインに立てたことをうれしく思う」と胸をなで下ろした。
痛みは治まりつつあるが練習を十分に積めておらず、復活への階段を一つずつ上がっている。「前に戻そうとしているわけではなく、新しいものをつくる。目標の東京五輪に全てがつながっていると思う」。100、200メートルの日本記録を持つ31歳は、前向きな言葉を並べた。
[匿名さん]