自己ベストは2時間23分20秒。2016年3月の名古屋ウィメンズでたたき出した数字だが、結果は田中智美(第一生命)に1秒差で敗れて3位。同年リオデジャネイロ五輪出場の明暗となった。
翌年2月には左足小指を骨折。その後は「走り方が分からない。足が思うように動かない。何度もやめようと思った」と“イップス”に陥った時期もある。時計の針は約3年間、止まったまま。ワイルドカードでMGC出場権は手にしたが、楽観したようすはまるでない。万全の状態で来年の9月のスタートラインに立つためにもっとも必要なのは不安の払拭だった。
今月5日の山口・大島合宿での30キロ走の翌日には腰痛を発症。大阪国際の出場に黄色ランプがともった。「すごく出たかった大会。感情をコントロールできなくなった」と岡山市内の寮で号泣。だが、「走れるかどうかではなく走るんだ」と必死に間に合わせた。
初の浪速路だが、同時開催だった17年の大阪ハーフで優勝。その約1時間後に歓喜のテープを切った天満屋の先輩、重友梨佐をゴールで出迎えた。過去の自分を超えていくことで東京五輪への道はより明確に開ける。マラソンで流してきた悔し涙は、この浪速路でうれし涙に変えた。