エンターティナーとしても人間としても立派。
体が小さいけど良い選手です
[匿名さん]
あのヌンチャク・パフォーマンスと毒吹きパフォーマンスだけでも
芸術的で素晴らしい!!
[匿名さん]
試合のギャラ以外に若手のコーチ料を貰って実は結構稼いでた
[匿名さん]
「若手のコーチ役を請け負っているから」という理由で馬場が提示したギャラアップ額が「1試合100円増(後に500円)」だった
コーチ料込みで500円?
[匿名さん]
タイガー戸口は25%のギャラアップ契約で新日本に移籍したが雑に扱われてポイッ
[匿名さん]
SWSではギャラの問題で若松達から難癖つけられて、クーデターの原因になったよな。
[匿名さん]
日米マットを知り尽くしている、生き字引みたいなカブキさんに、もっとプロレス裏話本などを出版してほしい。
[匿名さん]
ザ・グレート・カブキさんの居酒屋が閉店…毒霧ハイボール飲み納め
12/27(水) 13:31配信
[匿名さん]
中学卒業後すぐに日本プロレスに入門したのに元力士みたいなダラダラした体型
[匿名さん]
高千穂氏は延岡市の岡富中学校だね同じ頃に坂口氏も延岡市の旭化成レーヨン工場
『現在は閉鎖』の勤労課に所属していたがとにかくでかかった
[匿名さん]
1969年10月~1970年3月まで毎週日曜18時からの30分枠で放送された
「NETヤング・プロレスリング」
永源遥、駒厚秀、安達勝治、木戸修、戸口正徳、柴田勝久、藤井誠之、林牛之助、轡田友継、ミスター珍らの
溌剌ファイト試合が好評だったが、特に
『21歳の美少年 高千穂明久』が若手一脚光を浴び人気急上昇で毎週のようにTV放送登場
若手ながら1970年4月第12回ワールドリーグ戦初出場に繋がったとのこと
[匿名さん]
アメリカでは立派なメインイベンター、日本に帰って来たくなかった
[匿名さん]
カール・ゴッチを全否定
「ゴッチの印象? 大したことはなかったですね。世間では「プロレスの神様」とか呼ばれたこともあったようでしたけど、
ゴッチのスタイルは日本のレスリングにはまったく合わなかったんですよ。やることは毎回、ほぼ一緒でしたからね。
そんな感じはありませんでしたよ。」
「試合で対戦しても、かなり汚いんですよ。目とかケツの穴に指を突っ込んできて、
相手が驚いたところを「グッ」とやるだけなんで。
どう攻めてくるかが分かっていると対応もできるので、何も効かなかったし、難しいってことはなかったですね。」
「(ゴッチ教室に)みんな参加してはいたんですけど、1週間もしたら、ほとんどの選手がゴッチのところには行かなくなりましたね。
まあ、アントニオ猪木さんだけは、ちょこちょこやっていましたけど…。
教える内容があまりにも、くだらなすぎちゃって、選手たちみんな“習ってもしょうがないな”と感じたんですよ。
例えば、四つん這いになって待っているとするじゃないですか。ゴッチは床についた手の甲にヒザを落としてくるんですよ。
当然、痛いから手を上げるでしょ。するとそこに技を決める、みたいな。とにかく汚い手段が多かったんですよ。
今の評価は、その後にゴッチの周りにいた人たちがうまく、つくりあげたんだと思いますね。」
[匿名さん]
猪木は気が小さいな
馬之助の腕を折って制裁した馬場さんとは大違いだ
[匿名さん]
ここはカブキのスレじゃないか、カブキの話をしよう
カブキのギャラを500円アップしてあげた馬場さん
[匿名さん]
全日本ではヒールから正規軍に回りました。顔面ペイントをやめていたのも、このころです。理
由は…もういいかなと思って。ちょっと長すぎたなってことに今まではしていたんですが、もう時効だからいいか。
2年先輩のグレート小鹿に言われたからなんですよ。試合前に自分がメークしてたら「バカヤロー、お前、そんなメークばっかりしやがって。オカマじゃあるまいし」って。
それで「そんなのアンタに言われる筋合いはねえよ」って腹が立ってね。
それで一時はメークをやめたんだけど、ジャイアント馬場さんから「頼むよ、またペイントしてくれよ」って言われて戻しました(笑い)。
[匿名さん]