もう20年前なんよな。
ノムさん、好き嫌いが激しいのと
フロントや助っ人との関係が下手。
そりゃ阪神では厳しいわ。
[匿名さん]
ブロワーズもメジャーと日本の違い(特にストライクゾーン)に戸惑ったのに誰もアドバイスしてやらんかったら腐るわ
[匿名さん]
坪井を育てて欲しかったが、ノムさんは振り子打法嫌いだったからな
[匿名さん]
タラスコやジョンソンも神宮ならもっと活躍できただろうなあ。
メイが巨人に盗られたのが一番ショックやったわ
[匿名さん]
福本さんのサイン出し間違い
伊原さんともいざこざあったねえ
[匿名さん]
俺もあの頃に戻りたいような、もうゆっくり死を待ちたいような
[匿名さん]
その年のセリーグ、中日以外で首位になったの、阪神だけなんだよな。
[匿名さん]
最下位の面白さを分からせてくれた。大変 貴重なチーム(笑)
[匿名さん]
阪神歴代の暗黒の中でも伝説的な暗黒っぷりやったからな
それにくらべて歴史は古いのに黄金時代が一回もないのは何でや?
[匿名さん]
広島は3連覇でリーグ優勝9回到達やもんな
ホンマのお荷物球団は阪神やったんやな
[匿名さん]
マーク・ジョンソン
マイケル・ブロワーズ
ダレル・メイ
ベン・リベラ
[匿名さん]
俺、一浪の時やわ
同い年の松坂大輔が大活躍してて肩身狭かった
[匿名さん]
1ライト坪井
2セカンド和田
3センター新庄
4サードブロワーズ
5ファーストジョンソン
6ショート今岡
7レフト桧山
8キャッチャー矢野
控え
田中、星野、大豊、塩谷、平塚、濱中
投手
先発 藪、メイ、吉田豊(先・中併用)、川尻、
中継ぎ 竹内、山崎(先・中併用)、伊藤、遠山、田村
抑え 福原(中・抑併用)、リベラ
藤川(登板無しベンチ要員)
[匿名さん]
この得点出来なさそうな相手にとっての楽勝打線
藪がいかに粘るかしか勝機の無かった半珍
[匿名さん]
2B仁志
LF清水
CF松井
1B清原
RF高橋
3B元木
SS二岡
C村田真
P上原
桑田
ガルベス
斎藤雅
岡島
入来
槙原
[匿名さん]
1999年セリーグリーディングヒッター順位
10位矢野輝弘 (神)打率.304 112安打 3本塁打 27打点
11位古田敦也 (ヤ)打率.302 146安打 13本塁打 71打点
スポニチやデイリーの大見出しは、古田に勝った!
[匿名さん]
打率2厘差だけやん。
まったく弱い時でもポジティブの粗探しだから困ったもんだ。
[匿名さん]
中日
1 LF 李鍾範
2 SS 福留
3 CF 関川
4 3B ゴメス
5 2B 立浪
6 1B 山崎
7 RF 井上
8 C 中村
[匿名さん]
ああいう自分の考えだけに頑固に拘る性格の監督ではそもそも適任ではない。
[匿名さん]
野村 監督経験24年 リーグ優勝5回
落合 監督経験8年 リーグ優勝4回
星野 監督経験17年 リーグ優勝4回
秋山 監督経験6年 リーグ優勝3回
ヒルマン監督経験5年 リーグ優勝2回
栗山 監督経験5年 リーグ優勝2回
東尾 監督経験7年 リーグ優勝2回
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吉田 監督経験8年 リーグ優勝1回
岡田 監督経験9年 リーグ優勝1回
[匿名さん]
阪神では日本一監督として大物ぶってる吉田も並べたら並のおっさん。
岡田もな。
[匿名さん]
如何に関西メディアによって誇大に作られた存在かよくわかる。
阪神ファンは井の中の蛙。
または洗脳され易い人。
[匿名さん]
阪神球団も甲子園博物館などでプレイヤーとして吉田を持ち上げてるが、おそらく初の日本一監督としてであろう、当時巨人の広岡も名ショートらしかったからプレイヤー吉田って特別そこを持ち上げる事もないんじゃないか。
[匿名さん]
ショートは鳥谷、安打数藤田の球団記録を更新したからな。
なにが吉田だ?
[匿名さん]
日本一監督として大物ぶってる吉田、球団の癌みたいなOBかもしれないな。
[匿名さん]
阪神のOBは平気で現役選手を飲みに誘うのが多いらしいからやっかいで迷惑だろう存在
[匿名さん]
田中秀太がスパイス👨❤️💋👨からセカンドのレギュラーの座を奪った
[匿名さん]
2B仁志
LF清水
CF松井
1B清原
RF高橋
3B元木
SS二岡
C村田真
P上原
桑田
ガルベス
斎藤雅
岡島
入来
槙原
[匿名さん]
1999年7月18日の巨人戦(甲子園)では、1点ビハインドの6回表2死二塁で、高橋由伸がファーストゴロを打った際、ベースカバーに走ったが、ベースを踏んでないためにセーフとされ、抗議したメイは審判の杉永政信の胸を突き、暴力行為で退場となった。抗議をしている間に二塁ランナーが生還してしまい、この失点が響いて阪神は2対3と競り負けた。暴力行為により2週間の謹慎処分が下されたが、謹慎期間中に恋人と歯の治療を兼ねたグアム旅行に行っていたことが発覚し、野村克也監督と対立した。
メイは「あの監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任」と痛烈に野村を批判したコメントを報道陣に配布して反論した。
[匿名さん]
自分の主張を綴ったプリントを英語の分かる記者に渡したところ、他の記者も欲しいと言い出したのでコピーして配布したということである。これを受けて、球団より罰金1,200万円と無期限謹慎処分を言い渡され帰国。シーズン途中の8月12日に事実上の退団が決定し自由契約となったが、3年連続で優勝を逃し、左腕投手の補強を進めていた巨人からオファーを受け、契約金と年俸を含めて1億5,000万円という阪神時代の4,200万円からの大幅アップで、12月17日に巨人へ移籍した。
移籍した際には、「野村監督との事はもう終わった事。いつまでもわだかまりは持ちたくない。あとはマウンドで答えを出すだけ」とコメントした。
[匿名さん]
1977年9月28日、シーズン終了まで2試合を残して監督を解任された。当時はまだ愛人関係にあった沙知代(当時は伊東芳枝)の「チーム・選手への口出し、および度重なる公私混同」が理由で、同僚投手の江本孟紀によれば、沙知代は大阪球場に電話をかけてきて「なんであんな選手を使ってるの!」、「コーチを出しなさい」などと怒鳴り、選手起用が悪いからバッティング・コーチを電話口に呼び出せと言ったという。選手たちも「えらいこと言うオバハンやな」、「公私混同でひっかきまわないでくれや」とうんざりしていたという。1975年オフ、選手会は緊急の会合をもち、「野村監督に忠告しよう」と決議したもののベテランは尻込みし、中堅選手も次々に腰が引けたため、結局最後まで残った江本、西岡三四郎、藤原満の3人が大阪のホテルで野村に直談判した。3人は「監督、プレーイングマネージャーなんですから、公私の区別をきっちりつけて選手が納得できるよう収めてください。」と話し、野村は神妙な面持ちで聞き「やっぱり話の分かる人だな。」と江本ら安心して引きあげた。
[匿名さん]
野村は球団から監督を解任を通告された後、マスコミの前から姿を消していたが、10月5日に大阪ロイヤルホテルにて記者会見を開いた。会見の冒頭で「私は鶴岡元老にぶっどばされた。スポーツの世界に政治があるとは思わなかった」と切り出し、自分が解任されたのは球団OBの鶴岡一人による介入だと主張した。また「チーム・選手への口出し、および度重なる公私混同」についても、沙知代はコーチ会議に出した覚えもないし、それほど常識のない女とも思っていないと発言し、球団が自身を解任した理由には正当性がないと主張した。鶴岡は、野村の主張は事実無根であると南海に対し抗議し、南海も野村に対し発言を撤回するよう訓告文を送付した。野村と南海は大きく対立したが、野村は14日、球団に対し「表現に行き過ぎがあった」と認め、南海も野村の謝罪を「誠意あるもの」であると受け入れ、騒動は一応の決着がついた。
[匿名さん]