>>24
「白鯨」という小説で、エイハブ船長が登場するのは捕鯨船が出港してだいぶたってから(中学から何度も挫折して結局一度もまともに読めてないけれども)。昔からそういう、中盤くらいになってようやく伝説の主役が登場するという美学が西欧であるのかもしれない。最初のほうから登場する、読者目線の主人公的人物もいて、読者や観客を地獄の戦場(非日常)へ案内する。
「地獄の黙示録」でも、語り部的な主人公が最初から案内し、地獄の戦場でヘリコプターのなんとか中佐など鬼神たちが登場し、中盤から真の主役である、未開の村で神になろうとした真の主役(ラスボス?)であるなんとか大佐が出てくる。
ライアンは兵士として攻撃力がそこそこあってデキる男ではあったけれども、鬼神クラスのチート兵士ではなかった。それもあってか、死者を何人も出して助ける価値があるのかと疑問がでてくる。
「戦争のはらわた」のスタイナー軍曹は鬼神クラス。
他の映画で中盤に出てくる鬼神キャラをジョーズにたとえれば、ライアンはイルカ程度。