>>383
現在。真書であるとする説と偽書である説とが二本のレールのように交わることなく対立しています。
嘗てのコンピューター解析では真書の可能性が高いとされたようですが、真書であると決定されたわけではありません。
現在と当時とでは解析技術の水準が異なるので今一度やり直すこともいいかも知れません。
真蹟が無いので物理的なアプローチは不可能ですね。
私は真偽未決とするのが今のところは妥当だと考えます。
しかしながら、私見を申し上げれば、三大秘法抄の対告衆である太田金吾は直接は日興門流とは無関係であることに違和感を覚えますし、富士戒壇説を示唆するような日興遺文が皆無であり、日興書写本がないのも不自然に思います。
太田金吾宛の日蓮遺文は真蹟が中山に複数現存しますし、太田金吾へ送られたのなら中山門流に本抄のなんらかの痕跡があって然るべきですが、それも皆無です。
最古の書写本は石山の日時書写ですが、他の日時筆の筆跡とは異なるとの疑いもあり、加えて中古天台思想の影響が色濃く見てとれるので、真書とは断定できないわけです。
本抄は弘安五年四月の執筆とされていますが、その頃の日蓮の容態はかなり悪かったようで、日興に代筆をさせた書簡もあるようです。
内容が日蓮の教学思想の根幹に関わるものだけに、日興書写がないのは不自然だと思うのですが。。。