昭和50年代初頭の全日本プロレス中継は4月から9月頃までプロ野球中継があると土曜日夜8時から深夜11時45分に移行されていた。子供だった自分は寝てしまい、見過ごしてしまうことがよくあった。当時は家庭用ビデオもあまり普及してなかった。
[匿名さん]
昭和の全日本プロレスはショッキングも多い
素人キングコングニーをぶちかましたり
[匿名さん]
倉持が襲われたのはちゃんと倉持了解してたのかな
完全に犯罪だけど
[匿名さん]
古舘伊知郎アナもデビッドシュルツに襲われ、頭に包帯巻いて実況していた
[匿名さん]
本当に息子やられたならそのあとの攻撃があんな逆水平やプロレス技のエルボーパットになるはず無し
[匿名さん]
シュルツはアレだったな。アメリカでもTVレポーターぶん殴ってたな。
[匿名さん]
プロレスに台本があり、すべて演出であるということを知らない人々が存在したのが昭和の時代だった
[匿名さん]
昭和時代はプロレスに限らず、子供も大人も、観戦するファン皆正直だったのかもしれない。
[ミスターX]
プロレスの誰も見た事が無い台本が存在すると信じてる人々が存在するのも平成だった。
[匿名さん]
昭和時代のプロレス台本の演出はシンプルだったけど、面白かった。
[匿名さん]
前田日明
道場で次はこういって、こういってこういきますねって次の試合の練習してたら
ふっとね昔その先輩にボコボコにされたな〜と思い出して
ロープによっていってね
そういえばあんなことされましたよね〜〜
いうたらもうその先輩ガクガク震え出してw
[匿名さん]
日本凱旋1戦目
突然オンドーフが前田のスープレックスが怖い、ケガするからやめさせろと言い出して
怒ったゴッチが控室まで行き
「このフットボウラーが!」と締め上げた
[匿名さん]
参考になるよ 次期エースになるはずの選手が連戦連敗という事は
ハッキリ弱いということ
[匿名さん]
Uで帰ってきてからは猪木が前田とのシングルを逃げまくってとうとう一度もやらなかったことでわかる
しかも橋本が海外武者修行中、出張して来て
た猪木と一緒に食事した時
猪木は橋本に
「いつかお前が前田とやれ」
と言われた時
橋本は猪木の頭にいつも前田日明があるんだと思ったと語ってる
[匿名さん]
前田はプロレスルールでは3流の外人選手にも勝てない
猪木にはUルールでやろうと主張しただけ。
[匿名さん]
猪木の格闘技路線にはしびれた!初期の新日本の外国人には、緊張感があった! ゴッチ、テーズ、パワーズ、シン、やはり、タイガージエットシンの功績無くして今日の新日本はないのでは!子供も大人もどこまでが本気なのか、解らなくなり、観戦していたなあ。
[ミスターX]
新日イズム(猪木イズム)は消滅しない。 今だに継続。
Uイズム(前田イズム)あっさり消滅(笑)一時的流行だった
ここの信念のちがい!!
[匿名さん]
昔の新日ブーム=今のWWE
くらいの日本での人気! ある意味、前田や長州が独立して旅立ち、新日に乗り込むのが良かった。
[匿名さん]
猪木も前田もカールゴッチの考えと同じだった。
格闘技戦は猪木が元祖だからね。
これは世界が仰天した!!
土台は猪木が作った。
[匿名さん]
〆に!異種格闘技や他団体の乗り込み。
これがあるから事件が起きて楽しかった。
全ては猪木のおかげだった昭和プロレス
[匿名さん]
第1回IWGP優勝者は猪木というシナリオは新間営業部長、坂口征二、ミスター高橋によって書かれたが、猪木のまさかのブック破りで坂口の猪木に対する不信感は強まった。
[匿名さん]
猪木に敗れたストロング小林はアメリカに渡り、マジソンでB・サンマルチノに掟やぶりのベアハッグを仕掛けて沸かせた。
[匿名さん]
因みに猪木はクリスドールマン、グレイシーの挑戦も避けました
[匿名さん]
因みにクリスドールマン、グレイシーは、プロレスルールでの猪木の挑戦は避けました
[匿名さん]
追記
ドールマンは第1回の異種格闘技戦、ルスカのときセコンドにも入っていてすぐに挑戦したが猪木は避けた
「いつ何時誰の挑戦でも受ける!」はホラということ
しかもルスカは新日道場では最強で負けたこと無しだったことは様々なレスラーが証言しているから
リングでは完全にプロレスをやらされてたのは見え見え
[匿名さん]