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2024/05/07 08:11
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NO.249309

ザ・グレートカブキ
合計:
#922020/08/16 14:36
>>87
何かカブキの先輩だったような
言い方だね🤣

[匿名さん]

#932020/08/16 16:18
>>87
派手な外見とは裏腹に、試合では決して技を多用せず『間』で勝負するレスラーだったと言える。
一試合を通して技らしい技はボディスラムとキーロックの二つのみを使用して組み立てたことがあるほどであり、
投げ技・極め技・丸め込み技の類はほとんど使用せず独創的で限られたプロレスムーブで試合を行う。
2019年のインタビューでは、「最近のレスラーは飛んだり跳ねたりで自己満足に陥り、客のことなんか考えていない」と自身のプロレス観のようなものを語った。

[匿名さん]

#942020/08/16 16:28
水道橋で居酒屋やってる。鍋と焼き鳥の美味い店。

[匿名さん]

#952020/08/16 17:35
>>89
アメリカに叩きだしたくせに安月給で日本に呼び戻した

[匿名さん]

#962020/08/16 17:38
トラースキックとアッパーブローと毒霧

[匿名さん]

#972020/08/16 17:55
カブキブームになって笑っていいともにも出たんだよね。馬場は相当なジェラシーを感じてただろう。

[匿名さん]

#982020/08/16 18:01
額から噴水のごとく流血。

[匿名さん]

#992020/08/16 18:51
セカンドロープからの正拳突きでフィニッシュ

[匿名さん]

#1002020/08/16 19:58
>>98
相手が武藤かムタの試合の時だな

[匿名さん]

#1012020/12/12 18:18
徳光和夫アナ談

当時、先輩の清水アナ、佐土アナが「こいつは、上手いレスラーだ」と評判になっていた選手は誰だったんですか。

「それが高千穂明久でしたね。あの頃は本名の米良ちゃんと呼んでいましたけど」

 ほぉほぉ、そりゃまた、清水さんたちも渋いところに目を付けていましたね。

「いやいや、それがね、渋くないんですよ。逆にデビュー当時の高千穂選手は派手でしたから」

 派手というのは?

「私が好きな外国人選手にスウィート・ダディ・シキという選手がいまして」

 ああ、はい。ドロップキックの上手いレスラーでしたよね。

「そうです、そうです。いわゆるスクリュー式のドロップキック、空中で自らの体をひねりながら蹴る技を使いこなしていたんですが、そのスクリュー式ドロップキックを当時の米良、高千穂選手も繰り出していたんですよ。そのフォームといい、破壊力といい素晴らしかった。清水さんとも“将来、高千穂が天下を取るかもしれないよね”と話し合っていたぐらいです」

[匿名さん]

#1022020/12/12 18:19
 なるほど。

「先日、プロレスのトーク番組で久しぶりに高千穂さんにお会いした時に、そのスクリュー式ドロップキックの話をしたら“いやあ、よく見てくれていましたね。嬉しいです。あの技、一生懸命に研究して必死に練習しました”と言っていましたよ」

 他に高千穂選手の特徴といえば、体の柔軟さ。

「そうそう、そうです。柔らかったねえ、米良ちゃんは。その体の柔軟性があるから、どんな体勢でも受け身を上手に取れていたし、どんなに危険な技を仕掛けられてもケガをしなかったんでしょうねえ。プロレスはやはり、見栄えがよくていくら強くても、受け身が半人前だったり、下手くそだとリング上で相手から信用されませんし、プロモーターも使いづらくなりますもんね。私たち実況陣も米良ちゃんの試合は安心して見ていられましたよ。たまに不器用な外国人選手が来日してメリハリのない試合になることもあったんですが、対戦相手が米良ちゃんだとそういうことにはならない。稚拙な投げ技、打撃技でも米良ちゃんがきっちり正面から受け止め、華麗に受け身を取るから見栄えのいい見応えのある試合になっていました。プロだな、米良ちゃんはっていつも感心していたもんです」

[匿名さん]

#1032020/12/12 18:21
カブキに変身する前の高千穂選手がアメリカマットで干されなかったのは、受け身の上手さのおかげかも。

「ええ、間違いなくそうでしょう。それに受け身が上手いというのは、観ている観客に技の壮絶さ、痛さなどをダイレクトに伝えることができる側面があるわけですよ。アメリカのマット界はそれができるレスラーを評価しましすしね。いや、それができるからこそ、アメリカのプロモーターたちもこぞって米良ちゃんをヒールとして重宝したのだと思います。だって、結局は善玉レスラーというのはカッコつけたいわけでしょ、リング上で(笑)」

 ですね、地元のファンに向けて少しでもいいカッコしたいですから。

「自分の得意技をバーンと決めてね(笑)。それを受けてくれる相手が米良ちゃんのように受け身の上手いレスラーだと、そのバーンの激しさが10倍、20倍も膨れ上がってダイレクトに観客に伝わる。そりゃ善玉レスラーは気持ちいいと思います。何度でも米良ちゃん相手に必殺技を出したくなる」

 何回でも高千穂さんと闘いたくなる。

「そういうことです。で、結果的に米良ちゃんはアメリカマット界で引っ張りだこになった、と」

 当時のアメリカマット界は各地のプロモーターの連合体で構成されていましたから、そういう評判はすぐに伝わっていたのでしょう。ましてや仕事のできる受け身の上手いレスラーは、どのプロモーターもほしがっていたはずで。 

「ええ、ええ、この間、本人もそう言っていました。あの頃は各地のプロモーターからのニーズがすごかったですよって」

 そうなるでしょうね、やっぱり。

[匿名さん]

#1042020/12/12 21:54
>>3
キムドクが192、猪木が189、蝶野とケンドーナガサキが188。

[匿名さん]

#1052020/12/12 23:09
プロレスが一番巧いのはやはり馬場さんだった

グレート・カブキ自伝

[匿名さん]

#1062020/12/15 12:18
テクニシャンと言われてたけど
アッパーと横蹴りと、ショルダークローとか
ほとんどそれしか印象にない
そんなに試合が面白いとは思わなかった

[匿名さん]

#1072020/12/15 12:24
プロレスの間ってあるけど
ブッチャーも技少ないけどバックドロップとかしたり
テリーも馬鹿の一つ覚えトーホールドいわれたけど
要所要所でおおって技出してた
カブキは、なんかだしてたっけ?

[匿名さん]

#1082020/12/15 13:42
アメリカで成功したのは マネージャーのおかげ

[匿名さん]

#1092020/12/15 13:51
>>107
毒霧

[匿名さん]

#1102020/12/15 14:32
ブームの頃は派手な入場シーンが観れれば👌みたいな感じ

[匿名さん]

#1112020/12/15 14:43
日本に帰ってからは マネージャーがいないから 自分を魅せる事が出来ない
毒霧を吐くタイミングも間抜けだった

[匿名さん]

#1122020/12/15 16:51
高千穂でさえ本名ではない

[匿名さん]

#1132020/12/15 17:16
毒霧の原料は?

[匿名さん]

#1142020/12/15 17:28
>>113
青汁

[匿名さん]

#1152020/12/15 18:23
新日のドーム参戦した全日本に何故かついていってた

[匿名さん]

#1162020/12/16 00:47
>>112
良の字だけは覚えてる

[匿名さん]

#1172020/12/16 12:48
確か、米良じゃなかったかな?

[匿名さん]

#1182020/12/16 13:19
海外にいた頃、カブキを呼べないプロモーターが
ハル薗田にカブキの格好をさせて興行を
していた。

[匿名さん]

#1192020/12/16 14:36
鶴田への低評価ぶりは凄いな。この人

[匿名さん]

#1202020/12/16 16:45
>>119
違う、鶴田はロッキー羽田との離脱計画を
失敗してから全日メンバーと距離を置いた。
食事なども一緒にしなかったそうだ。

[匿名さん]

#1212020/12/16 16:56
>>120
ロッキー羽田じじゃなくて、サムソン轡田ですね。サムソン轡田は高千穂時代のカブキのタッグパートナーです。
鶴田の独立話の時には、カブキは海外遠征先で話を知ったみたいですね。
遠征中鶴田は歴代の付き人としか食事をしなかったのは事実ですね。先輩レスラーとは距離を置いてたのは間違いない。

[匿名さん]

#1222020/12/16 17:40
鶴田の引き抜き計画を知って激怒した馬場がサムソン・クツワダを解雇、
鶴田を馬場がオーナーの子会社所属にして、日常の全日所属選手との接触を禁じたとか・・・

[匿名さん]

#1232020/12/18 07:29
馬場がNWA総会だかで欠場したシリーズの穴埋めみたいな形でカブキが初来日→しかしカブキブームが巻き起こり、旗揚げ初の黒字シリーズに→ただでさえ日テレからの突き上げを食らい続けていた馬場は自身の立場に危機感を覚える→上田が不在の馬場を批判する→怒りの馬場がシリーズ最終戦に帰国して上田を腕折り。

馬場へ危機感を与えたカブキはやっぱり凄いと思う。

[匿名さん]

#1242020/12/25 17:53
>>106
カブキに変身する前の17年間は、マイティ井上と並び「和製マットの魔術師」とも呼ばれる程の正統派のテクニシャンとして鳴らしたベビーフェイス(米国ではヒール)のレスラーであり、ハンマーロックを駆使した攻防や多彩なグラウンドテクニックを用いたスピード感あるファイトスタイルが持ち味であった。
アメリカ遠征を経験した70年代中盤以降は後のカブキ時代と同じフォームで放たれるアッパー・ブローを連発してペースを掴むのも定番の展開であり、80年代初頭には既にトラース・キックも使用し始めていた。

[匿名さん]

#1252020/12/31 22:30
>>124さんに同意です。カブキはアメリカで売り出すためのあくまで「キャラ」であり、あの時代、しっかりとした
テクニックと度胸、そしてプロレス頭がなければアメリカで生き残れません。いくつかの技で試合を成立させることが
出来る数少ないレスラーです。

[匿名さん]

#1262021/01/02 09:38
>>124
フリッツフォンエリックから息子達への教育担当を依頼され、実際に試合中に容赦なくアッパーブローを叩き込んで泣き顔にさせていたらしい。
その位カブキはフリッツから信頼されてたんだろうが、逆に同じくフリッツから信頼されていたはずの馬場にとっては面白くなかっただろう。

[匿名さん]

#1272021/01/02 11:15
経営してる飯田橋の?飲食店が潰れないのが凄い

[匿名さん]

#1282021/01/02 11:16
>>119
でも全日最後の試合で鶴田と組んでゴディ&ウイリアムスに勝った試合は良かったな

[匿名さん]

#1292021/01/05 17:37
店行くとサインとか貰えるの?

[匿名さん]

#1302021/03/20 18:02
「技術がなくて間が持たないから、今のレスラーは次から次へと技を出し過ぎちゃうんだよ」

日本のプロレス界を代表する「受け身の達人」であり、得意のアッパーを繰り出すタイミングも「抜群の間合い」から。

[匿名さん]

#1312021/03/26 12:28
>>119
鶴田と組んだ時にギクシャクした事もあったしさ

[匿名さん]

#1322021/03/26 13:30
先輩の自分を差し置いてデビュー後一気に全日№2に据えられたからね

[匿名さん]

#1332021/03/30 23:04
>>126
馬場は腹黒
週プロの編集長に金を渡してSWSを叩かせたんだろ

[匿名さん]

#1342021/03/31 10:37
プロレスが下手くそ

[匿名さん]

#1352021/03/31 10:43
徳光和夫アナがジャイアント馬場、アントニオ猪木は別格として、BI砲以外の日本人レスラーの中で最も評価していたのが高千穂明久(本名/米良明久。1964年10月31日に対山本小鉄戦でデビュー)だった。

徳光アナが語る「高千穂明久の受けの凄み」はやたらと熱かった。受け身の重要性を高く評価するところに、徳光さんのプロレス愛が感じられるのだけど、やはり昭和プロレスに記憶されている高千穂明久というレスラーは上手いレスラーであっても、どこか地味だった印象は拭えない。

[匿名さん]

#1362021/03/31 11:00
カブキに変身する前の17年間は、マイティ井上と並び「和製マットの魔術師」とも呼ばれる程の正統派のテクニシャンとして鳴らしたベビーフェイス(米国ではヒール)のレスラーであり、ハンマーロックを駆使した攻防や多彩なグラウンドテクニックを用いたスピード感あるファイトスタイルが持ち味であった。

[匿名さん]

#1372021/03/31 21:57
生まれは宮崎県だが、中学2年生のときに愛知県知立市に移住

[匿名さん]

#1382021/04/01 04:18
水道橋でカブキがやっている店のちゃんこは美味いよ。焼き鳥も

[匿名さん]

#1392021/04/09 18:34
4/9(金) 16:00配信
レジェンドたちが恐れていたプロレスラーがいた。3日に都内で行われた、日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベント「レジェンドサミット」で全日本プロレスなどで活躍したザ・グレート・カブキ(72)が登場した。

イベントにはほかに藤波辰爾(67)、長州力(69)、小橋建太(54)、田上明(59)、越中詩郎(62)が参加。
昭和時代からリングを沸かせてきた選手たちが、司会者からの「若手のころ怖かった先輩がいたか」の質問に長州、田上以外の3人が口をそろえて「カブキさん」と答えた。
70年に日本プロレスに入った藤波は「雰囲気が怖かった。リングサイドで見ていて蹴りも動きがすごかった」と明かした。
小橋は「やっぱりカブキさん。殺されるような目つき。近寄れなかったし、控室でも話せなかった」と苦笑いを見せた。

新日本プロレスの平成維震軍として一緒に戦った越中は「キャリアも年齢も違ったが、とても頼もしかった」と話した上で「試合で怒られた記憶しかない」と振り返った。
さらにプライベートでの逸話を披露。「本当によく飲まされた」。メンバーで食事に行った際には仲間の“後始末”もさせられることが多かったようで「朝4時ごろに六本木警察に行ったこともある」とエピソードを語った。

後輩たちの暴露にさすがのカブキも苦笑い。「ほかの選手が『カブキと飲み行くな』と言っていたみたい」。
周りに一目置かれる存在だったが、それでも平成維震軍のメンバーに溶け込もうと、加入後には結束の証しとして頭をそり上げた。
「家で髪を切った。娘が保育園から帰って来て、お帰りと言ったらぎゃーって逃げていった。それが一番の思い出」と目を細めた。

現在でも平成維震軍のメンバーがリングに上がることもある。カブキも毎試合、セコンドとして参戦する。
「日本での最高のチームだと思っている。お客さまを引きつけて、喜ばせるのがプロレス。試合を見ていたら、またやりたくなりますよ」。
イベント後には集まったファンとにこやかな笑顔で記念撮影。現役時代からリングの上でも外でも暴れ、恐れられたカブキだが、プロレスへの愛着と魂は今も昔も変わらない。

[匿名さん]

#1402021/05/20 02:22
坂口さんは、当時も今も謙虚だよ。今でも、俺のことを「めら(米良)ちゃん」と呼んでくれる。
1980年代、俺はアメリカでブレイクしていた。彼がシカゴにまで来て誘ってくれた。
「帰国したら、新日本のマットに上がってくれないか」と。
ありがたいけど、(全日本の社長の)馬場さんへの義理があったから断った。

[匿名さん]

#1412021/05/20 16:17
相手の選手やお客さんのことを考えて試合をすることができないと、いいレスラーにはなれない。「俺が、俺が…」という姿勢の選手がトップを取ったのはアメリカでも、日本でも少ない。

 猪木さん? 違うよ。猪木さんは、実際に会うと低姿勢な人だよ。日本プロレスのときからだから、もう長いね。俺には(あごを前に突き出すまねをして)「どーも、どーも」って挨拶をしてくれる…(笑)。

[匿名さん]


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