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2024/09/22 23:28
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✝️ キリスト教





NO.10622084

清野隆二主宰リーダーは神様の成功作
いるだけで後光が差している
神の御子にしか見えない
語る言葉はすべて真理の福音

皆様に愛されて74年
報告閲覧数2056レス数130
合計:

#812023/06/02 02:53
教会で性被害21万人超 仏でカトリック神父ら3千人関与との報告書

フランスのカトリック教会の神父らが、21万6千人の子どもたちに性的虐待
などの性被害を加えたとする報告書が5日、公表された。70年間にわたり、
2900~3200人の聖職者が関与したという。同日、フランスのカトリック
教会から依頼を受けた独立調査委員会が記者会見して明らかにした。
委員長を務めたフランスの国務院(行政裁判の最高裁に相当)元副院長の
ジャンマルク・ソベ氏によると、被害者の8割は少年で、大半が10~13歳
の頃に被害を受けた。加害者に教会の補助職員らを加えると、被害者の数
は推計33万人に上るという。ソベ氏は「2000年代初めまで、被害者は深く、
完全に、残酷なまでに無視されていた」と指摘。教会が神父を異動させる
などして組織的に隠蔽(いんぺい)していたという。
ソベ氏はまた、「被害者の証言がなければ、我々の社会はなおも無知の
ままで、起きたことを拒み続けていただろう」と被害者の勇気をたたえた。

[匿名さん]

#822023/06/24 02:06
日曜日のハッピーだったできごとを発表します!! 礼拝時間に信徒席から教壇に向けてのスマホライト点灯クソ野郎がひとりもいなかったことです!!!!! ハッピー!!!!!

[匿名さん]

#832023/08/11 10:16
クリスチャン新聞は先生にいつも感謝してます

[匿名さん]

#842023/08/11 19:26
いのちのことば社も先生様に感謝の祈りを捧げているそうです

[匿名さん]

#852023/11/17 00:41
ミニスター先生ハレルヤ レムナント時代!

[匿名さん]

#862023/11/17 01:42
リーダー様と伝道師のケンカが、ただの殴り合いからちゃんとした口喧嘩になってきた。口たつリーダーのほうが断然有利だけど、伝道師も負けずに「でも!でも!」と反論してる。負けるなリーダー。がんばれ伝道師。

[匿名さん]

#872023/12/23 21:36
ハッピークリスマス!主宰なるリーダー先生のお誕生を世界が祝っています

[匿名さん]

#882023/12/24 00:58
先生の革命的闘争により、全国の組織になりさがったプロテスタント福音教会を打倒し、先生の指導の元に正しい基督教を宣撫なされた!世紀末の現代では軟弱な神学校出を霊的実力にて排除せねばなりません

[匿名さん]

#892024/01/22 14:02
>>84
尊敬を集めてるすごい先生なんだ!

[匿名さん]

#902024/01/31 13:52
モコ珍名義で頑張っていらっしゃる。

[匿名さん]

#912024/02/06 00:15
①十分の十献金の強要、集会参加の義務化

②教会に献金をたくさんすると、捧げた人は(特に経済的に)祝福されるので、できるかぎり多く献金するように強く勧める(「繁栄の神学」というご利益信仰)

③たくさん献金をしている信徒をチヤホヤする
④教会内の奉仕をたくさんさせる(疲れさせて、正常な判断力を鈍らせる)

⑤教会会計(献金の使われ方)の報告をあまりしなかったり、内訳が大雑把だったりする

[匿名さん]

#922024/02/19 02:36
ホワイトボードに神がすぐ理解できる絵を描いてくれる

[匿名さん]

#932024/02/27 23:35
モコちんこと 盛っこり珍棒尊師

[匿名さん]

#942024/03/24 01:10
キリスト教は、あくまでも個人の主体的決断を尊重し、強制的手段に頼ったり、自分たちの名前を隠して勧誘したり、理性的判断を鈍らせるような手段を一切否定します。また、指導者の考えを一方的に押し付ける権威主義や、感情にのみ訴える熱狂主義も、聖書では厳しく批判されています。

[匿名さん]

#952024/03/29 20:12
清野隆二様は真実のみことばを語ります。

[匿名さん]

#962024/04/04 14:31
清野隆二さんから「私は預言の賜物が与えられている」と言っておられるのを聞いたことがあります。
旧約聖書からメッセージされることも多いですしねー
サレプタミニストリーも大半が旧約聖書からですもんね。
預言者は、神に召された人で神の言葉を託され、それを王やイスラエルの民に伝える人(励ます人)というのが本来の意味だと思いますが、清野隆二さん本人的には、神の言葉を託されて信者にわかりやすく解説する人、励ます人という意味で使っておられるではないでしょうか。
一時期は「ミニスター」とも名乗っておられましたよね。
おそらくこれは「仕える者になりなさい」という聖書の言葉から引用したんでしょう。
ころころと姿を変えることで有名な先生です。
教会では先生と呼ばせないとか教会には教職者制度は必要ないとか宣言されていますが、肩書にはずいぶん執着心があるように感じます。
神学校を卒業せずに牧師になられたようですからコンプレックスがあるのでしょうね。

[匿名さん]

#972024/04/04 19:27
>>96
この話、何回も見た
飽きた

[匿名さん]

#982024/04/04 20:09
>>97
禍いが降り注ぎますように

[匿名さん]

#992024/04/04 23:58
>>98
これは呪いだね〜

[匿名さん]

#1002024/04/05 00:54
この場合、主に委ねますというのが正しい信仰だろうと思うがな

[匿名さん]

#1012024/07/27 06:40
<サレプタ聖書メッセージ 真実の書>

「アソコの谷は希望の門」

in 2024.7.21
at キリスト教 東京鵜の木教会
Messaged by 清野隆二

いつもたくさんのイイネをおありがとうございます🖕
🖕チャンネル登録をお願いします🖕

[匿名さん]

#1022024/08/02 09:12
まことの神を愛し信じているつもりでなく信じきった時に精霊によるバプテスマを受け、隣人をも本当に愛することができた時この世が生き天国となると思います。

本来ならいばらの道や苦しみの中で主をしっていくものだと思うのですが、清野先生のように厳しいことは言わず人間の肉が喜ぶような甘い話をしていたり、肉が喜ぶような説教や催し物などで人を集めて肉の喜びを求めているような教会になってしまっていると思います。

「経済が豊かになりますように」などの肉の祈りであったり
信じているつもりの人も多く、信じてるつもりで言葉で言えば救われて天国にいけるなど。

この教会には旧約を重んじて形式ばかりで愛のない方も多くなってしまっているかと思います。
同盟や聖契などをこきおろしたり、他の教会牧師や信徒を恫喝したり。
この教団はキリスト教宗教ビジネスになってしまっているように思います。

[匿名さん]

#1032024/08/11 22:46
>>102
前の礼拝の日に 階段踏み外して落ちた女性が泣いていたら
階段の上から兄様が
〜いつも笑っていなさい〜

ってその女性に向かって笑いながら話しかけてました

〜治癒祈祷献金に励みなさい〜

と締めくくられました

[匿名さん]

#1042024/08/12 06:20
>>102
その教会は新興宗教だから金儲けで開業してやっているだけ。

[匿名さん]

#1052024/08/12 10:29
その山形出身のゲイ牧師は、自分を実際以上によく見せたいという思いから虚言を話すことがよくあります。
『教会の建築資金を出したのは実は私です』など。

妄想を事実のように語ったり、有名人や弁護士、警察権力と知り合いであるかのように礼拝で話します。
『妻は気が狂ったので警察につかまえてもらいました 離婚はやむを得ない事でした 私に罪はありません』など。

また、自分に注目を集める動機でも虚言を話すことがよくあります。『学生時代に除籍になったのはイエスキリストに直接会ってスカウトされたから』など。

[匿名さん]

#1062024/08/12 20:25
>>104
宗教法人化してるのは偽装のため?!

[匿名さん]

#1072024/08/13 00:28
>>106
日本国が、これこそ真実の教えだと保証したのが宗教法人東京鵜の木教会ですよ

[匿名さん]

#1082024/08/13 07:28
>>106 宗教法人なら免税特権があるからな。宗教は元手が不要なので入ってきた金はまじで坊主丸儲け。

[匿名さん]

#1092024/08/14 00:03
>>108
免税だけが目的なん?
そんなに巨額な税金逃れができるの?

[匿名さん]

#1102024/08/27 23:37
>>109
いろいろ教祖を満足させるものがあるんだよ

[匿名さん]

#1112024/08/28 21:50
8月28日 ヨシュア記No114

彼らは…、「わたしたちは遠い国から参りました。どうか今、わたしたちと協定を結んでください」と言うと、

ヨシュア記9章6節

 遠い国からイスラエルを慕い、仲間に加わろうとやってきた、と思わせるにふさわしい身なりと言葉に、だれもがだまされそうです。彼らの欺き方に注意してください。

①「遠い国から来た」……「遠い国から」とは、神が滅ぼせと命じた中に入らない者である、との主張です。しかし聖書は、「義人は一人もいない」と言い、すべての者は罪の中に、神の怒りの中に入っている、と告げます。原罪を抜きにした人間賛歌は危険です。

②「同情を求めた」……繕った靴、古びた袋や外套、努力と熱心の強調など、どんな人間的な同情も熱心も、天国に入る条件にはなりません。「イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです」(ロマ9章32節)。

 ③「主の名を恐れていると言った(9節)」……罪の本性を知る者だけが神を「恐れ」、罪を赦していただいた者が神を「畏れ」ます。彼らは実際には神を「恐れ・畏れ」ているのではなく、罪と滅びを恐れているだけです。

 友よ。キリスト教とは、心の慰めではなく霊の命の回復を与える教えです。その命については、「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(Ⅰコリ15章36節)と語られています。主イエスと共に死ぬ者だけが、主と共に復活するのです。

[匿名さん]

#1122024/08/28 21:54
1. 「遠い国から来た」について
「遠い国から来た」という言葉が、神が滅ぼせと命じた人々とは異なると彼らが主張していることを指摘し、「すべての者は罪の中にある」として、この主張が無意味であると結論づけています。ギブオン人は実際にはイスラエルに近い地域に住んでいたため、彼らが「遠い国から来た」と偽っているのは、滅ぼされることを免れるための戦略であり、原罪の問題を議論する場面ではありません。この箇所は、欺きの危険性や注意の必要性を伝えるものであり、原罪や全人類の罪深さを中心にした解釈は、聖書の本来の意図からずれている可能性があります。

2. 「同情を求めた」について
ギブオン人が使った古びた服や靴が同情を引くための策略であり、人間的な行いや努力が天国に入る条件ではないと述べています。しかし、この解釈もヨシュア記の文脈から外れています。この箇所は、ギブオン人がイスラエル人を騙すために用いた具体的な手段を示すものであり、人間の努力や行いに関する神学的な議論を展開するための箇所ではありません。ローマ書9章32節を引用して行いと信仰の対立を強調していますが、これも文脈から離れた適用です。

3. 「主の名を恐れていると言った」について
ギブオン人が罪と滅びを恐れているだけで、本当の意味で神を畏れていないと批判していますが、これは非常に主観的な評価です。彼らの動機は生存を求めるものですが、それが神を恐れることと無関係だと断定するのは難しいでしょう。

この解釈は、文脈を無視し、無理な解釈が行われている可能性があります。聖書の解釈は文脈に忠実であるべきであり、その文脈を無視して神学的なメッセージを押し付けることは、誤解を生む危険があります。

[匿名さん]

#1132024/08/29 00:06
>>111
神への冒涜に満ちている

[匿名さん]

#1142024/08/29 00:11
<サレプタ聖書メッセージシリーズ>
at キリスト教 東京鵜の木教会
Messaged by 清野隆二
🖕チャンネル登録をお願いします🖕
🖕無記名献金して罪を浄化しよう🖕

[匿名さん]

#1152024/08/29 01:25
>>111
清野隆二尊師はいつもウソをつく

[匿名さん]

#1162024/08/29 01:29
⏬清野隆二さんの聖書改ざん

8月25日 ヨシュア記No111

その後ヨシュアは、律法の言葉すなわち祝福と呪いをことごとく、すべて律法の書に記されているとおりに読み上げた。

ヨシュア記8章34節

 エリコを攻め落とし、アイも滅ぼしたイスラエルは、エバル山で祭壇を築いて礼拝し、律法を読み上げました。

 その中で、「律法の言葉すなわち祝福と呪い」とあります。律法は神と人との「継がりと交わり」、すなわち命の関係を示す祝福の言葉であるはずなのに、なぜ呪いも含まれているのでしょうか。

 神は人に人格・自由意志を与えています。自由な人格があるからこそ愛が存在し、自由を持っているからこそ戒めが必要です。戒めは、神が人を束縛するためではなく、自由にするためです。

 「あなたを愛します」と言う時、その裏側に、「あなた以外の人を愛しません」がなければなりません。主は十戒において、第一戒では主が唯一の神であることを、第二戒では偶像を造ってはならないことを戒めました。祝福は第一戒にあり、呪いは第二戒にあります。律法の祝福と呪いは表裏一体です。

 友よ。「祝福」を受けるには、その裏にある「呪い」も知らねばなりません。どちらを受け取るかは、あなたの責任です。主の恵みの法則は、「神を愛し→自分自身を愛し→隣人を愛せよ」であり、すなわち恵みは「神の愛」から始まります。「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」(コロ3章14節)。

[匿名さん]

#1172024/08/29 14:17
>>116
悪魔の説教\(^o^)/

[匿名さん]

#1182024/08/29 23:01
>>112
解説ありがとうございます
とてもよく理解できます
清野隆二氏の荒唐無稽ぶりな発言がよくわかります
聖書を利用しています
神様が言っているんだ!!と言って、 実は清野隆二さんの考えだということがよくわかります

[匿名さん]

#1192024/08/30 01:15
全集狂に告ぐ。今すぐ神様を利用したお金儲けを止めろ。神様も流石に激怒されてる。衆狂の神様は人間が勝手に創造した偽物とおっしゃってる。

[匿名さん]

#1202024/09/03 10:55
>>116
1. 呪いと祝福の関係について
清野隆二は、「祝福」と「呪い」が表裏一体であると述べています。確かに、旧約聖書において、律法の遵守が祝福をもたらし、違反が呪いをもたらすというテーマは頻繁に見られます。しかし、この論点を拡大解釈しすぎると、神の愛と律法の目的を誤解する可能性があります。律法は人間を束縛するためではなく、導き、保護するためのものであり、その中に含まれる呪いは、神からの罰というよりも、神の意志に反する行動の自然な結果と解釈するべきです。

2. 第一戒と第二戒の解釈について
清野隆二は、第一戒が祝福を、第二戒が呪いを象徴するとしていますが、この解釈には疑問が残ります。第一戒は神を唯一の神とすることを求め、第二戒は偶像崇拝を禁止しています。どちらも神との関係を正しく保つために重要であり、どちらか一方が祝福で他方が呪いという単純な対比は適切ではありません。むしろ、全ての戒めが神との正しい関係を築くためのものであり、それに従うことが祝福をもたらすのです。

3. 愛と律法の関係について
清野隆二は、「戒めは、神が人を束縛するためではなく、自由にするため」と述べています。これは、新約聖書のイエスの教えとも一致し、妥当な解釈です。しかし、「祝福を受けるには呪いも知らねばならない」という表現は、律法の中心にある愛と恩寵の精神を見失わせる危険性があります。律法の目的は、愛と共に生きることを教えることであり、呪いの恐怖に基づいて人々を従わせることではありません。

4. 選択と責任について
最後に、清野隆二は「どちらを受け取るかは、あなたの責任です」と述べています。これは、個人の自由意志と責任を強調する点で正しいです。しかし、神の愛と恩寵は、単に選択の結果として与えられるものではなく、神の無条件の愛と人間の悔い改めに基づいています。したがって、選択の重さを強調しすぎると、神の恩寵の自由さや無償性が見落とされる危険があります。

総括
清野隆二の主張は、律法や神の愛の本質に対する理解を制限する可能性があります。律法の目的や神の愛を正しく理解するためには、祝福と呪いの対比に過度に依存せず、愛と恩寵の中心的な役割を見逃さないことが重要です。

[匿名さん]

#1212024/09/03 20:14
>>120
正しいと思います。

清野隆二の話しは山師的。
聖書を引用して清野隆二の悪巧みを信用させようとしています。
わざと信徒にウソの聖書解釈を植え付けるのは悪党。
清野隆二はユダやサタンより悪い。

[匿名さん]

#1222024/09/05 18:04
↓清野隆二さん 聖書改ざん↓

ヨシュア

出て来た民は皆、割礼を受けていたが、エジプトを出た後、途中の荒れ野で生まれた者は一人も割礼を受けていなかったからである。

ヨシュア記5章5節

 割礼は、信仰の告白であり、献身の告白でもありました。出エジプトの時、民は家の門柱に血を塗り、過越の食事をしましたが、これこそ霊的割礼でした。荒れ野での四十年間に多くの子供が生まれましたが、彼らの信仰は親の信仰に便乗した「習慣信仰」になっていました。

 クリスチャン二世は、神の財産を受け継ぐ「長所」を持ちますが、人(親)の罪を見る「短所」に戸惑います。イサクは典型的な信仰二世でした。彼は、掘った井戸をめぐって他民族との間に争いが生じる度に、そこから離れて別の井戸を掘り当てました。彼はどこに水(神の命)があるかを知り、その掘り方(信仰)を見て育ったゆえの長所(恵み)を持っていました。

 ヤコブの子供たちは、神と出会いながらも多くの妻を持つ父の姿に、神を知っているだけに一層厳しい裁きの目を向けました。やがて父への反発から、兄たちは弟殺しを計画するまでになりました。彼らは、クリスチャンなのに罪に生きる親の姿に失望して神を退けるという短所(罪)を身に着けました。

 しかし友よ。親がどうであれ、最終的には個人個人の責任に行き着きます。親の罪の中に自分の罪を隠してはなりません。さあ、今日、今からでも、すべての事情をおいて、「自分はイエスを主としているか」を問い、ここから歩き始めてください。

[匿名さん]

#1232024/09/08 16:23
1. ヨシュア記5章5節の文脈と割礼の霊的解釈についての誤解
まず、ヨシュア記5章5節は、イスラエルの民がエジプトから脱出し、荒野を旅する間に割礼が中断されていた事実を述べていますが、割礼の霊的意義や象徴についての言及はありません。割礼は、アブラハムとその子孫に対して神が与えた物理的な契約のしるしであり、信仰や献身の霊的告白そのものではありません。出エジプト時の過越の儀式と割礼を結びつけることは誤解を生む可能性があります。

割礼はアブラハム契約に基づく肉体的な行為であり、過越の儀式(家の門柱に血を塗る行為)は、エジプト脱出における特別な救済の象徴です。この二つの儀式は異なる文脈にあり、過越を「霊的割礼」として説明するのは、聖書に基づいた理解とは言えません。

2. 「習慣信仰」の概念について
「習慣信仰」という言葉は、親から信仰を受け継いだ子供たちが形式的な信仰を持つことを指すものとして使われていますが、これは聖書における信仰の継承についての適切な理解ではありません。ヨシュア記5章5節の文脈において、割礼が行われなかったのは、単なる「習慣化」や「信仰の弱体化」ではなく、実際の物理的・歴史的な事情に起因しています。荒野での40年間は、神が民を訓練し、彼らに信仰を強める期間でした。割礼の中断は、神が意図した理由に基づくものであり、単なる信仰の形骸化を示すものではありません。

[匿名さん]

#1242024/09/08 16:23
3. イサクとヤコブの家族に対する誤解
この偽教師の主張の中で、イサクやヤコブの子供たちに関する話が出てきますが、これらの例がヨシュア記5章5節や荒野での割礼中断の話と関連するかどうかは不明確です。イサクが井戸を掘り当てた話や、ヤコブの子供たちの兄弟間の葛藤は、信仰の継承というテーマと直接的に関係がない可能性があります。これらは、特定の個人的な経験や行動に基づくものであり、必ずしも信仰の問題とは直結しません。

4. 神と親の罪との関連付けについて
親の罪と子供の信仰の関係について言及されていますが、聖書は「個人の責任」を強調しています(エゼキエル書18章参照)。親の罪が子供に影響を与えることは事実ですが、最終的に信仰は個人の選択に依存するものです。この主張は、親の罪が信仰に直接影響するという誤った考え方を助長する可能性があります。

結論
この偽教師の主張は、ヨシュア記5章5節の文脈を十分に考慮せずに、割礼や信仰の継承に関する霊的な意味を過度に読み込んでいる点で問題があります。また、イサクやヤコブの家族の例が不適切に引用されており、親の罪と子供の信仰の問題についてもバランスの欠けた見解が提示されています。聖書の文脈と教えに忠実に解釈することが重要です。

[匿名さん]

#1252024/09/13 23:23
>>124
偽教師清野さんのウソを明らかにしてくれてありがとうございます

[匿名さん]

#1262024/09/14 23:45
>>123
鵜の木教会がめちゃくちゃなのが分かった。
聖書利用してうそばっかり。

リーダー清野隆二は地獄行き決まり

[匿名さん]

#1272024/09/18 21:37
尊師様に逆らうと呪詛されますよ

[匿名さん]

#1282024/09/19 18:55
清野さんは教会組織を壊すのが生きがいだから、教会宛に送られた新約聖書の解き明かしは超苦手笑

[匿名さん]

#1292024/09/20 01:38
>>125
ニセもなにも…
本人と親衛隊しか牧師と思ってないよ
世間の教会関係者は牧師と思ってないから
キリスト教だとも思われてないよ

[匿名さん]

#1302024/09/22 23:28最新レス
この世で唯一無二の神
清野隆二先生

尊師であり皆の兄でありリーダー
難しい聖書を簡単に解説されます


「見境無く交わり合いなさい」

ギレアドには忌むべきものがある。まことにそれらはむなしい。ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている。その祭壇は畑の畝に積まれた石塚にすぎない。

ホセア書12章12節

 イスラエルは、偶像が置かれる一方で、高価な雄牛を犠牲に捧げる儀式も行われる矛盾の中にいました。

 物事が見えるための二大条件は、
①実態がある ②光がある、と言えます。
偶像の本質は人の肉です。そこにサタンが働くと、木像や鏡でさえも生きているように信じられます。しかし、その神について、それを信じる者たちに聞けば聞くほど曖昧になります。なぜなら、それは人の考えや欲望の塊で造られ、実態がないからです。

 聖書の神を、「神が人となり、人々の罪の身代わりに死に、三日目に復活したお方です」と言うと、これほど理性と常識を無視したことは他にありません。しかし、イエスを主と信じる人に、しかもより多くの人々に尋ねるほどに、神の姿が明確に描き出されます。それは、神が事実人となり、罪人の罪を赦し、復活の命を与え続けておられる実存だからです。

 さらに、見えるためには光が必要です。聖霊こそ、主イエスを神として、完全な人、贖い主、復活の命、として照らします。「あなたの光(聖霊)に、私たちは光(主イエス)を見る」(詩36編10節)。

 友よ。個人の知識や経験にとどまらず、もっとキリストの体となって他と交わってください。すると、もっと、もっと、イエス・キリストが見えてきます。

[匿名さん]

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