ほぼ韓国人だから日本人はやりずらいだろうな!野次も多いだろうし採点競技も微妙だな…まっ他国の審判もいるとは思うけどね!
[匿名さん]
日本漁船拿捕にあたっては、韓国漁船を装った船で日本漁船に近づくという卑劣な手口も使いました。漁船で近づき日本語で「調子はどうですか」などとにこやかに声をかけたうえで、付近に船を待機させ、日本漁船が網の巻き上げ作業にはいったところ(つまり身動きがとれなくなったところ)を見計らって、警告なしに機関銃を乱射して日本人船員を殺害し、慌てて網を切り落として逃げ出そうとする日本漁船を追尾して、これを漁船ごと拿捕するという極めて卑劣な手口でした。軍事は当該国の軍服を着用して行うことというのが、国際法のルールです。
襲われた日本漁船はたいへんです。船内は血の海、怪我をした者は息があっても治療してもらえない。運良く生き残っても収容施設は六畳一間に三十人を押し込むという非道さです。食事は残飯、水も三十人で一日に桶一杯です。満員電車のような室内では、誰ひとり横になることもできず、トイレも行かせてもらえない。立ったまま室内に大小便垂れ流しという状態にされたのです。
取り調べと称して部屋から連れ出されるときは、もっと大変です。牢屋を出される瞬間に、殴る蹴るの暴行を受ける。ぐったりして抵抗できなくなったところで、ようやく取調室に連れ出されると、そこでまた殴る蹴るの暴行です。
結局、この李承晩ラインは、廃止となった昭和四十年(一九六五)六月まで、なんと十三年間も続きました。そしてこの間に韓国によって拿捕された日本漁船は、合計三百二十八隻、拿捕された者三千九百三十九人、殺害された者四十四人にのぼります。
写真は、ようやく解放されて帰国した日本人漁民です。ガリガリに痩せ細った体、腫れ上がった顔、焼けただれた頭皮、さらに全身が打撲と裂傷で紫色に変色しています。あまりにも酷い姿です。写真は、李承晩酷い酋長で検索願います。
[匿名さん]