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経歴
山口県吉敷郡小郡町[3](現・山口市小郡)で牛馬商の柳井周吉の四男として生まれる[1][4]。
父は山口県吉敷郡陶村(現・山口市陶)の生まれであった[2]。
尋常高等小学校を1年で中退し父の手伝いを始めたが、やがて京都の食堂で板前として働く兄を頼って上洛、
自らも同じ食堂の手伝いを始めたが、食堂の主人のシェパードが向かいの洋服屋の秋田犬に咬まれて深傷を
負ったため、刺身包丁で秋田犬を傷つける事件を起こし、故郷へ戻される[2]。宇部市の炭鉱で働くうち、
ヤクザの世界に入る[1]。1931年5月には、現在の下関市にあった小月競馬場に子分を連れて殴り込みをかけ、
抗争相手のヤクザの所有する馬2頭を1尺5寸の日本刀で叩き斬った後、敵方に取り囲まれ、その場で切腹して
病院に運ばれる事件を起こした[5][1]。この事件では子分たちに逃げられたため、敵方のヤクザに助けられ
た[1]。