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2024/02/14 21:10
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NO.11673493

日垞の〝悩み〟に終わりはない。「教垫」ず「旅人」二足の草鞋を履いおわかったこず【西岡正暹】

バむクを借りおアンコヌル トムにお。西岡正暹氏

 

【「旅の䞭に生掻がある」ずいう違和感】

 私のラむフスタむルは、間違いなく子どもの頃に芳た「ロヌドムヌビヌ」に圱響されおいる。あの頃から、私はか所にずどたらず圷埚っおいる人や動物に魅せられ、自分もい぀かは「旅の䞭に生掻がある」生き方をしおみたい、ずずっず憧れおいた。しかし、成長ず共に、私の憧れおいた旅のむメヌゞは、その時その時の様々な出逢いによっお圢を倉えおいった。

 それでも幎霢を重ね、䜕歳いく぀になっおも「旅するこず」は倉わらず自分自身の䞭に存圚し、私は時間を芋぀けおは囜内倖に出かけた。しかし、私の旅はい぀たでたっおも「旅の䞭に生掻がある」ものにはならなかった。私は「氞遠の旅人」にはなれないのかなず感じるこずもあった。しかし、い぀か「氞遠の旅人旅の䞭に生掻がある人」でありたい、ずっずノマドのように䞖界䞭を旅したいずいう思いは、私の心の䞭に匷く存圚し続けおいた。

 そしお遂に、その時がやっお来た。2001幎、私は24幎間続けた教職を退いた。49歳になる幎だ。無謀ずも蚀われた自分の決断に、それを聞いた誰もが驚き唖然ずしおいたが、私自身はずおも冷静だった。私の行動は、倢に向かう「時間の流れ」に抌し出されただけだったので、私は気負うこずもなく「旅の䞭に生掻がある」ずいう生き方に、倧きく舵をきるこずができた。

 2001幎9月、手始めに私は北米カナダを暪断した。アメリカに入り、ニュヌペヌクからペヌロッパぞ。䞖界䞭が慌ただしくなっおいる時だったこずもあり、2か月間もむギリスに留たらなければならなかった。それでも、2002幎になり、䞖間の隒々しさを暪目で芋ながらむギリス、フランスぞずバむクを走らせた。それから倧西掋偎を南䞋し、さらにモロッコぞ枡り、1か月間モロッコを旅した。しかし、サハラ砂挠を少し走ったずころで自分の限界を知り、スペむンぞ戻った。そしお、地䞭海沿いを東に向かい、トルコたで行った。トルコからさらに西ぞは行かず、地䞭海沿いを南䞋しおロヌドス島からクレタ島ぞず枡った。

 このあたりから私の迷走が始たった。この時には「これは旅なのだろうか」ずいう思いが匷くなっおいた。自分のやっおいるこずはすべおなんずなくであり、これでいいのかず懐疑的になっおいたのだ。旅が始たっおか月が過ぎようずしおいる。ベネチアには行きたかったので、ギリシャからむタリアぞフェリヌで枡った。そしお、オヌストリアのりィヌンには、゚ゎン・シヌレの絵を芳るためだけに行った。その日その日の「気分次第」「出逢い次第」で、自分の動きが決たった。

 地䞭海の旅が終わる頃から、私は「旅の䞭に生掻がある」こずに違和感を抱き始めおいた。それは「旅の䞭に生掻がある」こずを続けおきたこずでしか分からない。旅が非日垞である限り、ひず぀ひず぀の出逢いが新鮮であり、それらの出逢いに心動くのだが、旅が日垞になりそれがしばらく続くず、物事ぞの感じ方が倉わっおくるこずに私は気が付いたのだ。

 旅が日垞になった時、生掻が非日垞になるのかず蚀えばそうはならない。私は出口のない袋小路に閉じ蟌められおいくようだ。それが苊しくお幎埌、私は「旅の䞭に生掻がある」生き方を止め、日本に戻った。

 そしお幎間、私は日本の日垞にずっぷりず浞かった。するずたた、旅ぞの思いが心の䞭にふ぀ふ぀ず湧き䞊り、それが次第に倧きくなり始めおきたのだ。私は、自分の気持ちに正盎に埓うこずにした。私は再び、北南米瞊断バむク旅に出かけたのだ。

 2003幎6月、回目の旅の出発地はアラスカだった。ブルックス山脈の麓から南米チリのサンティアゎたでの3䞇数千キロ、10か月に及ぶ旅は、私の旅を決定づけた。私の旅は、やはり、旅を日垞にしおはダメなのだ。旅はあくたでも非日垞の䞖界であり、興奮する堎でなければならない、結果的にはそのように刀断せざるを埗ない旅だった。

 北南米瞊断バむク旅も10か月が過ぎた頃、私の䞭で旅が旅でなくなりそうになった。それに呌応するように私のバむクも悲鳎を䞊げた。どうも電気系統がおかしい、゚ンゞンが止たりそうな気配だ。私は日本に戻るこずにした。

ケップ近く

  

【「䞖界䞭に自分の働く堎所がある」ベトナム圚䜏の教え子ず再䌚】

  

 10か月以䞊の旅を2回続け、同じような粟神的な状況に陥ったのは、自分の䜕かを倉えなければならないずいうこずなのだろう。自分なりの旅のスタむルを確立する時が来たようだ。私は「教垫をしながらも、旅に出たい時に旅に出る」ずいう新しいスタむルを暡玢し始めた。そしお、瀟䌚的状況がそれを求めおいたずいうこずもあり、ある幎は欠員が出た孊校の求めに応じお臚時教員ずなり、ある幎は自分の思いに埓い旅に出る。そのような「教垫」ず「旅人」ずいう2足の草鞋を履くラむフスタむルを、私は確立したのだ。私にずっおそれが長いのか短いのか分からないが、それから23幎ずいう時が過ぎた。

 その間に、私は囜内倖66か囜玄16侇Kmをバむクで旅をした。ワヌルドワむドな旅をしたのだから、私の芖野が広がりワヌルドワむドに動ける人になったかずいうず、けっしおそうではない。私はい぀たでたっおも目の前に起こる出来事に右埀巊埀し、それに察応するのに粟いっぱいである。

 私は囜連に参加しおいる囜の半分も満たない囜しか蚪れおいないのに、「ワヌルドワむド」ずいう蚀葉を䜿うのもおこがたしいず思ったのだが、䞀応䞖界の5倧陞に足を螏み入れたずいうこずで䜿わせおもらった。ワヌルドワむドに䞖界のいろいろな所に行けば行くほど、私の芖野が広がったかず蚀えば決しおそうではない。グロヌバリズムな思いを抱くよりも、私の䞭ではナショナリズムが高たっおいったのだが、それは玍埗できた。日垞ず非日垞は繋がっおいるようで繋がっおはいない。

 今、私は東南アゞアを旅しおいる。

プノンペン

 

 ベトナムには、私が高校生の時に抱いおいた倢を実珟しおいる教え子がいる。「䞖界䞭に自分の働く堎がある」そんな生掻をたさに実践しおいる教え子だ。ここではその名も所属機関名も差し控え「囜連の専門機関および関連機関」の1぀に所属しおいるずだけ蚘しおおくが、そういう機関で働いおいる者がすべお「ワヌルドワむド」な芖野を持ち、党䞖界の人々の幞せのために働いおいるのだろうか、こんな私だからずおも興味がある。

 ベトナムに滞圚しおいる間、私は教え子にさんざん䞖話になった。「持぀べきものは教え子だな」ず぀くづく思ったのだが、それだけではない。自分が経隓したこずのないこずを経隓し、今も䞖界䞭の人々が幞せになれるように「揎助する」䞖界機関に勀め、掻動しおいる人ず話をするのはずおも面癜い。教え子ず話を始めるず瞬く間に時間が過ぎ、カフェに入った時間も忘れる皋だった。

 話の䞭で分かったこずなのだが、教え子が日本を出ようず思ったのは「閉塞感」からだずいう。日本瀟䌚は、効率的で䟿利である。しかし、すべおはその「効率」ず「䟿利さ」に瞛られ、すべおの人がそれを求め、求められおいる。そこには無駄がなく、䜙癜がない。その䞭で感じる息苊しさから逃れるためには、日本を出るずいう遞択しかなかったようだ。しかし、倖囜に䜏んだら「閉塞感」はなくなるのか、話はそう簡単ではない。

 教え子にずっお、ハノむに来た圓初に圧倒されたカオスや同時に味わう解攟感は、䞀時的なものに過ぎなかった。しばらくひず぀の囜にいるず次第に芋えおくる様々な課題は、日本の持぀課題ず異なるが、党く違うわけではない。それが明確になればなるほど教え子にプレッシャヌがかかる。それは自分に盎接に関わっおくるものではないが、ベトナムに䜏む人たちの「息苊しさ」に共感しおしたう自分がいるのだ。

 

・経枈成長著しいベトナムだがその恩恵にあやかられる人はあたり倚くない

・閉鎖的、専制的な政治

・汚職が蔓延する政治経枈システム

・庶民の生掻は盞倉わらず厳しい

 

 䞊蚘の課題は、教え子がベトナムにいお感じる課題なのだが、それらの課題はベトナムだけのものではなく、日本も含め倚くの囜がもっおいる課題ではないだろうか。䞖界は倚様ではあるが、抱えおいる課題は決しお倚様ではない。人間性や人間の営みはワヌルドワむドな䞖界ずいう広さで捉えおも、ひず぀の囜のひず぀の地域ずいう狭い䞖界で捉えおも、根本的には垞に同じような課題を倚くの囜が持ち続けおいるように、私には思える。人間の営みの䞭で倧切にしなければならない物事の本質は、「倚様ではない」のではないだろうか。

コンポントムの朝陜

 

【旅が日垞になっおしたうず旅が面癜くなくなる理由】

 

 旅が日垞になっおしたうず旅が面癜くなくなるのは、倚様な芖点が持おなくなるからだずいうこずが、長く旅をしおいお分かっおきたのだが、たた困ったこずに、その倚様さばかりに目がいっおしたうず、逆に本質的な日垞を芋倱いそうになる。所詮、私たちは「人間」である。旅であろうず日垞の生掻であろうず、私たちはどこでどのように生きおいようず「人間」なのである。同じ「人間」が起こす事は、マキシムな䞖界で起きおいる事も、ミニマムな䞖界で起きおいる事も、倧きく倉わるこずはない。私が長く旅をしおいお芋えおきたこずだ。

 教え子の話の䞭で芋えおくる教え子自身の葛藀は、人間の「゚ゎ」や「保身」が枊巻く䞭で、自分の仕事がどれだけの人の幞せに繋がっおいるのか、ずいうこずのようなのだが、教え子の気持ちは理解できる。人間は誰もひずりでは生きおいけないず無意識の郚分で分かっおいる。だから、人間は成長すればするほど、自分自身の幞せず他の人の幞せを考えながら生きおいかなければないこずを意識する。そこに人間ずしおの本質を芋おいるからこそ、教え子は自分の行いはこれでいいのかず悩むのだ。

 教え子のように「倧海で泳いでいる者であっおも悩みの根本は同じなのだ」ず思える旅の道䞭。

 

文西岡正暹


【日時】2024幎02月15日(朚) 05:00
【提䟛】BEST TiMES


#12024/02/14 20:23
ベトナムかあ
最近は日本の旧パチスロ機を打ちに行く日本人が増えおるな

[匿名さん]

#22024/02/14 20:47
河合隌雄(心理孊者,1999幎)
「䟋えば、「たったり」生きようずいきなり蚀われおも、そんなこずは絶察に出来たせん。その意識が過剰になるず、二重に苊しむこずになりたす。そういうものに瞛られずに、自分のペヌスを守るこずが倧事だず思いたす。」

[匿名さん]

#32024/02/14 20:59
なんか読む気しないんだけど冒険者みたいなこずしおるオッサンだね

[匿名さん]

#42024/02/14 21:10最新レス
いいずしこいお
ふらふらず旅をしお
自分探しずかしおるおっさんなのかな

[匿名さん]

スレが立っおから30日を過ぎるずレス投皿が出来なくなりたす。

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