姉体出身とか花東出身とかドーデモいいから、一選手としてどんばれ。
[匿名さん]
どんだけ活躍してもどんだけ応援してもお前らには1円の得もない。
[匿名さん]
散々水沢の事ディスってたけど態度改めるわ。
ここぞとばかりに擦り寄らせて頂きます。
同じ奥州市民だもんね(ニッコリ)
[匿名さん]
今日もホームランだよー 凄い😱🙂🤗😀😃😄😁😆😊
;😉💮💯
[匿名さん]
メジャーリーガーは輩出出来ても甲子園は遠い、、、遠すぎる、、、。
[匿名さん]
水沢の高校に入ってたら今の大谷はない
やっぱり優秀な人材は市外に出るのが正解
[匿名さん]
奥州市にふるさと納税4倍、大谷翔平選手からの寄付金も2億円。奥州市は元気です。GWは奥州市武家屋敷大谷翔平屋敷に来てね。メイプルも楽しいよ。
[匿名さん]
奥州市にふるさと納税4倍、大谷翔平選手からの寄付金も2億円。奥州市は元気です。GWは奥州市武家屋敷メイプル大谷翔平風屋敷に来てね。メイプルにあるかもよ楽しいよ。
[メイプル奥州市]
大谷は
アメリカで盛り上がり
日本で盛り上がるが…
岩手では盛り上がりに欠け
更に水沢でも盛り上がりに欠け
更に更に姉体で盛り上がりに欠ける。
俺は大谷が日ハム時代に大谷の自宅のある町内会のトップに後援会作っては?と提言したが無視された。
[匿名さん]
大谷選手、能代にルーツ 親族がメジャー活躍見守る
ttp://www.sakigake.jp/news/article/20180410AK0002/
投打の「二刀流」で鮮烈な米大リーグデビューを飾ったエンゼルスの大谷翔平選手(23)=岩手県奥州市出身=のルーツが秋田県能代市にある。大谷選手の父方の曽祖父三蔵(さんぞう)さん(故人)は、同市北部の栗山地区出身。市内に住む親族は全米を沸かせるスター選手との縁を「誇らしい」と喜び、活躍の様子を温かく見守っている。
大谷選手は今月に入ってメジャー初登板初勝利を挙げた後、日本人としては松井秀喜さん以来となる3試合連続本塁打をマーク。本拠地での初登板となった8日(日本時間9日)のアスレチックス戦では、7回を被安打1、12奪三振の無失点に抑え、2勝目を挙げた。
[匿名さん]
父・徹氏は「岩手に住もう」と横浜育ちの母・加代子さんを説得した
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158805
大谷の父・徹(52)は24歳の夏、三菱重工横浜の野球部を引退、その年の12月に加代子(51)と結婚式を挙げた。独身寮を出て、横浜市西区の社宅へ。鉄筋コンクリートの5階建て。住まいは2DKだった。
野球部にいたときは勤務も午前中だけ。ワープロ打ちとコピー取りといった仕事が主だったものの、引退後はそうはいかない。当時はコンピューターが普及し始めたころ。三菱重工横浜のグループ企業のシステム課のような部署でコンピューターの勉強をしながら親会社の業務をした。
「コンピューター関係の勉強をしなさいよと。プログラム言語を覚えて、自分でプログラムをつくれるようにと。システム関係の仕事でした」(徹)
そして結婚の翌々年にあたる88年、徹が26歳になる年の3月に、長男の龍太(27)が生まれた。
横浜にはそもそも野球をやるために来た。野球部引退後も居続けなければならない理由はない。新しい家族ができたこともあって、「長男だし、ゆくゆくは生まれ故郷の岩手に帰ろう」という徹の思いは次第に強くなっていく。
しかし、加代子は横浜生まれの横浜育ち。都会の生活を捨てて岩手に行くことに「まったく抵抗がなかったと言えばウソになります(笑い)」と言うのはもっともだ。
徹が当時を振り返ってこう話す。
「ずっと横浜にいることも考えなくはありませんでした。例えば(加代子夫人の家族と)一緒に住むとかね。ただ、家内の姉も妹も(横浜に)いますし、ひとりくらいは外に出てもいいんじゃないかと。僕は長男ですし、(加代子夫人の)お父さんも『長男なんだからゆくゆくは帰るだろう、帰らなければいけないだろう』と、そういう話をしてくれていましたしね。向こう(岩手)の方が物価も安く、仕事があれば暮らしやすいだろうと。ゆくゆく家を買うとなったときに、やっぱり都会じゃ無理ですよね。マンションを買えるのか買えないのか……当時は億というお金でしたしね。家を建てるなら田舎の方が安いし、建てられるかもしれない。家内にしてみれば友達も、両親や姉妹もいない。本心では嫌だったんでしょうけど、向こうなら一戸建てが待ってるよと(笑い)。住めば都と言って説得したのです」
[匿名さん]
県大会入賞の陸上より野球を選んだ父・徹氏の矜持
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158502
大谷の父・徹(52)が育った岩手県北上市和賀町には、大手重化学工業の関連会社がある。「当時は人もたくさんいて、町全体が活気にあふれていた。まさに工場の町といった感じでした」と徹は振り返る。
徹の父、大谷の祖父である正幸(78)はその工場で働き、社宅に住んだ。徹は2人兄妹の長男として生まれた。
「父は技能職というか現場でした。趣味は多彩です。車の免許は大型とか、大型特殊とか、二種とか、クレーンとか、重機とか……免許という免許はみなもっています。運転が好きで、工場の中でバスやブルドーザーを運転したり、雪が多いのでユンボというパワーショベルのようなもので除雪作業をしたりもしていました。狩猟や釣りも好きで、(獲物を)仲間とさばいて、持って帰ってきた気がします。キジ、ウサギ、熊などは食べたことがあります。自然が好きというか、アウトドア派ですね。ひとりでできるのがいいと。一緒に遊んでもらった記憶は、あまりありません」
それでも野球は好きだった。工場内のレクリエーションでは野球をやった。徹に野球をやるように勧めたのも正幸だった。
地元の中学に進んだ徹は坊主頭になるのが嫌で野球部ではなく、陸上部に入った。しかし、結局、2年生から野球部でプレーすることになる。
「中2のとき、陸上部に駆り出され、3種競技(100メートル走、走り高跳び、砲丸投げ)で県大会で入賞したんですけど、その上となるとなかなか難しくて。例えば100メートル走。コンマ数秒でも、結局、相手の背中を見て走ることになるわけじゃないですか。それが嫌で嫌で……負けるのが嫌いだったんです」と徹は言う。
県6位でも、自分の目の前に5人いることが我慢できない。当時の野球部はさほど強くなかったものの、野球は陸上ほど明確に個人の優劣がつくわけではない。しかし、個人の活躍がときに勝敗を左右する。徹はエース兼4番打者として、県内の野球強豪校監督の目に留まる存在になった。
[匿名さん]
皆は大谷、大谷と騒ぐけど
日ハム時代に試合観に行ってたのか?
[匿名さん]
ビックフライ オオタニサン❗ (MLB新人王獲得)
[匿名さん]
岩手県より奥州市より北海道が大谷で盛り上がってるよ。
[匿名さん]
大谷くんの子供を産みたい。早く性転換手術受けたい。
[マチ子マングロ]
Shohei Ohtani is the first Japanese-born player to hit for the cycle in Major League history!@@@;@@@
[匿名さん]
大谷と、雄星と、佐々木でMLBを席巻してほしい。
そしたらおじさんもアメリカに応援に行きたい。
[匿名さん]
大谷 第3打席は右越え弾丸18号ソロ 同僚の応援ハチマキに応える会心の一撃
「エンゼルス−インディアンス」(11日、アナハイム)
エンゼルスの大谷翔平投手(25)は「3番・指名打者」で出場し、五回の第3打席に右越え18号ソロを放った。初回は空振り三振、二回は右直だった。
[匿名さん]