今はミトコンドリアDNAで解明されている
まず我々の祖先がアフリカ東部で誕生、その後一部の集団がユーラシア大陸と陸続きだった時に日本に定着したのが縄文人、その後朝鮮半島経由ではなく中国東北部、または南部から福岡県周辺にきた集団が弥生人、しかしこれは武力を伴うものではなく現地の縄文人と緩やかに統合されていった。
統合が遅れたのは九州南部、関東以北。
しかし5世紀には関東までヤマト王権の力が届くようになり
毛の国は最盛期を迎える。
その時に純粋な縄文人との境は茨城県北部となり、平安時代には更に北上、岩手では奥州藤原氏が最盛期を迎える。
そして平安時代末期には西日本で平氏が最盛期を迎え、それを打ち破り武家政権である鎌倉幕府が成立、源氏が最盛期をむかえる。
しかし源氏は短命で執権の座についていた北条氏が後釜となり、最盛期を迎える。
一方ユーラシア大陸ではチンギスハンが世界史上稀に見る大帝国を築き最盛期を迎えていた。しかしチンギスの死後領土は子孫に分割され、そのうちのひとつである元が日本を傘下に納めるべく動き出していた。
[匿名さん]
縄文人が日本の原住民で渡来系の弥生人と混血したというのは昭和の頃の通説だ。
現代では日本人の形成に最も影響を与えたのは古墳時代の人流とされている。
この時代、西日本から朝鮮半島南部(現在の韓国)にかけては遺伝子的に近い集団が定住していた。
そもそも、朝鮮半島の北部(現在の北朝鮮)は満州や沿海州に住む集団と近縁であって、現代の韓国人の直接の祖先ではない。
同じ血筋だった朝鮮半島南部と西日本の集団が、それぞれ朝鮮半島北部と東日本の集団と混血したのが現代の韓国人と日本人の基底となっている。
[匿名さん]
もう一つ、よく誤解されてるのが縄文・弥生の血筋的なこと。
縄文時代は一万年も続いたわけで、その間に何度も、かつ北から南から日本列島への流入があった。
弥生時代になった途端、日本列島に原住していた人達とは全く異なる集団が渡来するようになったわけではない。
ちなみに、弥生時代の人口は60万人ほどで縄文時代のピークの3倍ほどでしかないが、古墳時代になると約540万まで爆増する。
この古墳時代人こそが現代日本人(現代韓国人)の基底となった純日本人(純韓国人)。
[匿名さん]
中国人も日本人も朝鮮人も韓国人も台湾人もモンゴル人も、もともと同じじゃね?
[匿名さん]
太田に限らず、群馬・栃木・埼玉北部あたりは東日本有数の密集エリア
[匿名さん]
太田市: 市場町(道原) 大島町 熊野町 強戸町 下田島町 世良田町(下原) 台之郷町 只上町 鶴生田町 富若町 新田赤堀町(一町田) 新田大町 新田金井町 新田上江田町(登戸) 新田小金井町(原口) 新田下江田町 新田村田町(入谷) 新田村田町(境ヶ谷戸) 東今泉町 東金井町 東矢島町 藤阿久町 細谷町 丸山町 緑町(古氷) 安良岡町 矢田堀町 藪塚町(台) 由良町 吉沢町(唐沢) 龍舞町
館林市: 赤生田町(下新田) 栄町 新栄町(天神) 成島町 野辺町(西山)
邑楽郡千代田町: 赤岩(大日) 赤岩(中天神原) 赤岩(檜内) 福島 舞木(中島)
邑楽郡大泉町: 古海 坂田 吉田 寄木戸(北) 寄木戸(南)
邑楽郡邑楽町: 中野(前谷)
本当に?
[匿名さん]
藤阿久辺りも昔の土地の上に新しく分譲住宅がたっているね!
[匿名さん]
血が濃いから似た顔とたまに美人と美男子が出てくるだろ
[匿名さん]