>>54
宇都宮に餃子が広まるきっかけは、終戦後に日本に引き揚げてきたみんみんの初代が、戦中に中国で教わった餃子をヒントに、安くて美味しくて身体に良いスタミナ食って事で始めたんじゃなかったっけ?
でもって、当時は鹿沼特産のニラや白菜が安く手に入ったからって言ってたよ。前の社長だった伊藤のおっちゃんから直接聞いたよ。 やっぱ、儲かる人気商品は同業他社が増えるじゃん。それで餃子を取り扱う店が徐々に増えていって、餃子の街と言われるまでになったんじゃないの?
今は便乗で東京資本の会社もチラホラ見受けるね。
並んで食べる云々は、餃子の会を立ち上げるきっかけまで遡るから書くのめんどい。みんみんの先代伊藤さんが深く関わっているよ。音頭取ったの伊藤さんだし。そん時は役所はぜんぜん乗り気じゃなくて、門前払いされたってブチ切れてたわ。街を盛り上げる起爆剤に!ってコンセプトをバカにされたって。まあ、お役所仕事なんていつも上から目線だがね。そんで民間主導でやったら…あとからいっちょ噛みしてきたのが市役所の能無しどもだよ。知事の福田さんは後出しジャンケンだったけど予算配分に鶴の一声してくれたった喜んでたわ(当時の話し)
まさしは当時仲悪かったから会の声掛けしなかったみたいよ、社長同士は互いにバチバチだったけど、まさしの専務は、伊藤さんと仲が悪かったわけでもなかったし…まあ、だいぶ経ってから入会したから手打ちでよいかと。
パイプの煙りとかでたまたま丸治の社長に会った時に同じ事言ってたわ。
で、なんでワインと餃子の街で街興しをしよう!ってなったかは…あとのお話…。
話が脱線してきたので…そろそろお暇いたします
おあとが宜しいようで🙇♀️…テケテンテン♪テケテケテンテン♫