まずはドラフトで複数チームが指名した注目選手の「プロ1号」から。直近でいえば、2017年のドラフトで7球団が競合した清宮幸太郎(日本ハム)が挙げられる。入団1年目、5月2日の楽天戦で公式戦デビューを果たした清宮は、5月9日のオリックス戦で公式戦初本塁打を記録。通算6試合目でのプロ1号だった。
2007年ドラフトでは高校通算87本塁打の中田翔を4球団が指名。抽選の末に日本ハムが獲得した。現在はリーグを代表する強打者だが、1年目は一軍出場がなく、2年目は22試合出場も本塁打は出なかった。迎えた3年目はケガによる離脱はあったが、7月20日に行われたロッテ戦で公式戦初本塁打をマーク。プロ入り通算39試合目で待望の初本塁打となった。
少しさかのぼる1995年のドラフトでは、福留孝介を7球団が指名。ここでは近鉄が抽選で交渉権を獲得したが、福留は入団を拒否し、4年後の1999年に逆指名で中日に入団した。意中の球団に入ることができた福留は、開幕からいきなりレギュラーに抜擢され、公式戦3試合目(4月4日・広島戦)で初安打、11試合目(4月16日・巨人戦)で初本塁打をマークした。
[匿名さん]
1992年ドラフトでは、高校No.1スラッガー・松井秀喜を4球団が指名。抽選の結果、巨人が獲得した。注目の1年目はオープン戦で結果を残せずに二軍落ちしたが、再昇格後の5月1日、ヤクルト戦でプロ初試合を経験。翌2日の同じくヤクルト戦でスタメン起用されると、9回の攻撃で高津臣吾から公式戦初本塁打を放った。わずか2試合目での一撃だった。
松井を超える「公式戦1試合目での本塁打」を記録したのが清原和博だ。桑田真澄とともにPL旋風を巻き起こした清原は、1985年ドラフトで6球団競合の末に西武に入団。オープン戦では好結果を残すことはできなかったが、開幕2戦目の南海戦に途中出場すると、2打席目でいきなり本塁打を記録した。
[匿名さん]
佐藤の先輩である阪神のスラッガーはどうだろうか。例えば、1968年入団の田淵幸一は公式戦3試合目で初本塁打をマーク。佐藤が2試合目で本塁打を放つまでは、2001年の沖原佳典と並んでチーム最速記録だった。また、本塁打王3回のミスタータイガース・掛布雅之は、1年目の1974年6月3日・広島戦で公式戦初本塁打を放っている。これは通算22試合目での記録だ。
[匿名さん]
阪神のライバルである巨人のレジェンドでは、現在監督を務めている原辰徳が1981年4月5日の中日戦で初本塁打を記録。松井と同じく公式戦2試合目でプロ1号となった。また、長嶋茂雄は公式戦5試合目(1958年4月10日・大洋戦)、王貞治は公式戦11試合目(1959年4月26日・国鉄戦)でプロ1号を記録している。特に、王は高卒新人ながら開幕スタメンデビューを果たすも、プロ1号をマークするまで26打席無安打と苦しんだ末の一本だった。
王は後にセ・リーグ初の三冠王となるが、同じく三冠に輝いたレジェンドの場合、落合博満は3試合目と早かったが、野村克也は通算31試合目とプロ1号は遅かった。平成唯一の三冠王・松中信彦は、公式戦初本塁打が出たのが1998年9月5日の西武戦。プロ入りから通算34試合目と野村よりも時間がかかった。
[匿名さん]
「やり逃げ」
やり逃げ 絶対ゆるさない 契約署名まだ終わっていないのに 連絡つかない このまま逃げられると思うな
00ダの整備士
住友まくら
[匿名さん]
徳盛直子騒音おばさん犯罪者一家だから気をつけて下さい。早く一族全員しんで下さい宜しくお願い致します。毎日祈ってます
[匿名さん]