やっと桐生まつり終わりましたね。皆さんお疲れ様でした。
では、また来年。
[匿名さん]
5日〜7日までの桐生祭り、とりあえず、行きまーす👠6日に行くわ(^o^)/
[匿名さん]
6日は足利が花火大会🎆
みんな行っちゃうよね
私は仕事でどちらも行かないけど
[匿名さん]
またアユミが居るんだろうな 生意気なあの顔見るの嫌なんだよな 胸糞悪くなる 態度でけえし、空気悪くなる うんざり
[匿名さん]
うるさいよね、音響
新川公園の前は通りたくないわ
子どもも嫌がるし
[匿名さん]
投資や資産運用、お金全般に興味があるなら、学んで損はないのが「世界大恐慌の歴史」。マネーの歴史における一大トピックであるが、その実態を正しく知る人は意外に少なく、現代に生きる示唆に富む。『大恐慌の勝者たち』を刊行した玉手義朗氏が、そのエッセンスをご紹介する。相場は水もの」というが、去年を少し思い返すだけでもその意を深くする。2020年春の株式市場はいかなるものであったか。みなさんの記憶には、どれくらい鮮明な景色が残っているだろうか。
[匿名さん]
2020年3月16日、ニューヨーク株式市場のダウ平均株価は、史上2番目の大暴落を演じた。下落率は12.9%で、下げ幅は2997ドル10セント。1987年10月19日の「ブラックマンデー」(下落率22.6%)に次ぐ暴落で、同じ月曜日だったことから、「ブラックマンデー2」と呼ぶ人もいた。
原因はもちろん、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う世界経済の低迷だ。各種の景気指標の落ち込みも大きく、雇用情勢も悪化していた。
この状況を世界大恐慌になぞらえる向きもあった。何しろ、このときの12.9%に抜かれるまで、下落率「第2位」だったのは1929年10月28日の12.8%。世界大恐慌につながる株価暴落の流れを決定づけた日であり、この日もまた月曜日であったことから、「元祖ブラックマンデー」とも呼ばれている。
ところが、2020年の株価暴落はその後、思わぬ展開を見せる。ご存じの通り、株価が反発に転じたのだ。21年2月には、ダウ平均が暴落前の水準を回復するどころか、史上最高値を連続して更新、日経平均株価もバブル期以来の3万円台を回復して勢いづいた。本稿を執筆する6月現在も、日米とも株価は高値圏にある。
しかし、この状況に違和感を抱く人は少なくない。これはバブルではないのか、遠からず大暴落するのではないか、というわけだ。
[匿名さん]
今後の株価動向を占う立場にはないが、このタイミングで世界大恐慌の歴史を振り返り、検証するのは興味深く、示唆に富むと考える。
実のところ、1929年10月に始まった株価暴落は一直線に進んだわけではない。 株価が落ちたと思ったら切り返して上がり、一安心させたところでまた下がるといった「フェイク相場」を繰り返した。しかし、終わってみれば、ダウ平均が29年に付けた ピークを超えたのは1954年。アメリカの「失われた25年」とも呼ぶべき低迷の起点となったのが「元祖ブラックマンデー」であり、世界大恐慌であった。
世界大恐慌といえば、「元祖ブラックマンデー」より、遙かに名前の知られた日がある。
1929年10月24日、「暗黒の木曜日」だ。暗黒の木曜日といえば、ニューヨーク証券取引所前に集まった大群衆の姿を思い浮かべる人も多いだろう。株価暴落を聞きつけた人々が不安に駆られて集まり、道路を埋め尽くした歴史映像は、世界大恐慌の始まりを告げるものとして人々の脳裏に刻まれてきた。
[匿名さん]
しかし、この日の株式市場の実相を知る人は、意外なほど少ないのではないだろうか。暗黒の木曜日は、何の前触れもなく訪れ、そこから株価は奈落の底に一直線……といった認識を持つ人がいるならば、2つの点で誤りだ。
まず、暗黒の木曜日の以前から、株価はすでに下降局面にあった。また、暗黒の木曜日の株価の下落率は、ごくわずかであった。確かに午前中は大きく下げた。ところが午後には反転し、終値で見ると「暴落」どころか「下げ止まり」といえる動きだったのである。
この2点を念頭に、当時の株価の動きをもう少し詳しく見てみよう。1920年代のアメリカでは、「黄金の20年代」と呼ばれていた好景気を背景に、株価が上昇を続け、やがて暴騰と呼べる状況となった。28年に203.35ドルで始まったダウ平均株価は、翌29年9月3日に381.17ドルと2倍近くに達していた。
ここから株価は明らかな下落基調となった。暗黒の木曜日の前日の29年10月23日も6.3%の下落となり、ダウ平均株価は305.85ドルと、高値から2割も下落していたのである。
[匿名さん]
しかし、長期にわたる株高を経験してきた市場関係者のほとんどが、この下げは一時的で、すぐに回復すると信じていた。10月15日、高名な経済学者アーヴィング・フィッシャー教授は株式市場関係者を前に「株価は数カ月以内に今よりずっと高値になる」と語りかけ、暗黒の木曜日の前日である10月23日にも、銀行家を前に「株価が暴落するのではという懸念は、現在の経済状況から見ると全然根拠がない」と勇気づけていたほどだ。
こうしたなかで、株式市場は10月24日を迎えた。取引開始直後こそ落ち着いていたが、すぐに大量の売り注文が出されて、市場はパニックに陥った。主要な指標は20%の下落となり、投機銘柄の代表だったRCA(Radio Corporation of America)株は35%を超える暴落となる。
異変を聞きつけた1万人もの人々が、ニューヨーク証券取引所の周りに集まってきた。 警察は騎馬部隊を含めた600人態勢で秩序の維持を図り、取引所の入り口にロープを張った。新聞社や記録映画カメラマンは向かいのビルに陣取って、歴史的な瞬間の撮影を始めていた。
[匿名さん]
ところが、午後に入ると状況は一変する。銀行家たちが、株式の買い支えで共同歩調を取ることを決めたのだ。先陣を切ったのはモルガン商会だった。午後1時半過ぎに代理人が取引フロアに姿を見せると、USスチール株に直前の取引価格より10ポイント近く高い価格で大量の買い注文を出した。これに続いて、他の銀行家たちもまとまった買い注文を出したことで、株価は反発に転じる。
この日の出来高は1289万株という空前の規模に達したものの、ダウ平均株価の終値は前日の終値比6ドル安の299.47ドル、下落率は2.09%という小幅安で取引を終えているのである。
翌日の米紙ウォールストリート・ジャーナルは「銀行家が株価暴落を阻止 モルガン商会における会議の後、2時間の雪崩のような売りは収束」と伝えている。
10月24日、 株式市場は一時的にパニックに陥ったものの、株価暴落は食い止められていた。下落率は前日の3分の1と「下げ止まり」の印象すら与えるもので、終値で見る限り、暗黒の木曜日は「暗黒」ではなかったといえる。
続く金曜日と土曜日(午前中のみ)の取引も平静で、人々は胸をなで下ろした。米大統領のフーヴァーも25日の声明で、「この国の基本的な事業、すなわち財の生産と分配は、健全かつ繁栄の基礎の上にある」と、強気の姿勢を崩すことはなかったのである。
[匿名さん]
安定したかに見えた株式市場だったが、これはフェイクだった。本当の「暗黒」は翌週にやってきた。 28日の月曜日は本当の暴落となった。ダウ平均株価の下落率は12.8%、この時点での史上最大の下落率であり、これを破ったのが1987年10月19日の「ブラックマンデー」の22.6%。1929年10月28日は、「元祖ブラックマンデー」として歴史に刻まれたのである。
今度は銀行家たちもどうすることもできなかった。翌日の火曜日も「暗黒」となっ た。下落率は月曜日に匹敵する11.73%、取引高は24日をさらに上回る1641万株と史上空前の規模に達する。後に「悲劇の火曜日」「アメリカが終わった日」などと呼ばれたこの日の終値は230.07ドル、9月のピークから実に4割の大暴落となったのである。株価が事実上崩壊した。株式取引市場最大の惨事となったこの日、巨大な損失を道連れにして株価は暴落した」と伝えたのは米紙ニューヨーク・タイムズ。「暗黒」の波状攻撃を受けた株式市場だったが、ここから一気に奈落の底へ……という動きにはならなかった。
長年の株高に対する未練は強く、割安となった株式を買い戻す動きが広がったのだ。これによって株価は反発に転じ、翌1930年の4月、ダウ平均株価は290ドル台を回復する。わずか半年で暗黒の木曜日前の水準に戻ったのだ。
[匿名さん]
株式市場は1930年の夏から本格的な暴落を始める。ダウ平均株価は10月には200ドルを割り込み、31年4月に150ドル割れ、9月には100ドル割れとなった。株価の下げはさらに続き、32年7月8日に41.22ドルにまで落ち込んでしまった。ピーク時の実に10分の1の水準だ。
この間も、一時的な株価回復が幾度となくあった。株高への未練を捨てきれない投機家たちは、「ここが底値だ」と買い戻したことで、傷口を広げていく。
激しい株価変動に翻弄された末に、自ら命を絶った者もいた。この頃、街ではこんな噂が広まっていた。宿泊客にホテルの支配人がこう尋ねているというのだ。「眠るための部屋をお望みですか?それとも飛び降りるための部屋ですか?」と。
こうして大恐慌期のダウ平均の推移を振り返ると、フェイク相場に幾度となく騙され、煮え湯を飲まされた人々の姿が浮かび上がる。しかし、これは何も大恐慌期に限ったことでなく、これからも何度でも繰り返されることなのだろう。
[匿名さん]
株価はその後も低迷を続けた。1937年にかけてダウ平均株価は200ドル近くまで回復するが、38年にかけて再度下落基調に転じて一時100ドル割れとなる。ダウ平均株価が29年に付けたピークを超えたのは54年11月のこと。株価の回復に25年が費やされたのである。
[匿名さん]
しかし、暗黒の株式市場にも勝者はいた。
アメリカ株式市場の「冬の時代」とも呼べるこの時期に、株取引で成功を収めた者たちの足跡を振り返ると、大きく分けて2つのパターンがある。
第1に、暴落のタイミングを的確に見極めて売り逃げた「予知型」。
第2に、暴落で痛い目に遭ったものの、その教訓を活かして投資手法を進化させた人々。こちらは「イノベーター型」とでも、呼べるだろう。
[匿名さん]
ヤグラの近くで脚立に乗って騒いでるボンクラまじウザい
百ショーが何様のつもりだ笑
[匿名さん]
脚立のやつな, なんなんだろうね, 水ぶっかけられた, きたねんだよ
[匿名さん]
おー そう思ってた人いたんだ その通りだ なんなんだあれは
なんのグループさ やだよねあれ
[匿名さん]