>>415
信長よりも遥かに早く実践投入をしていたのは島津というのは覆し難い事実です。
そもそも鉄砲の伝来は種子島であり 島津領でしたから、道理と言えば道理ですよね。
信長が活躍したのは 1560年の桶狭間以降であり、鉄砲の伝来はもっとずっと前の1543年ぐらいでしたか しかも その翌年には量産化に成功してるので
信長が使ったとされる長篠よりもずっと前のことであり、実際に少数ではあるものの
岩剣城を攻めた時にも使用されています。
それ以降、島津では普通に鉄砲は使用されており、信長の入る隙はないかと思われるでしょうが
問題はその運用方法です。
島津では鉄砲は敵を狙って撃つものであり、組織的というより各武将が用意して使う武器であるという認識でしょうか。
信長は鉄砲を足軽に持たせ 一斉に斉射を行うという組織的運用をしていたということが認知されたのではないでしょうか。
各々が狙って狙撃するのが島津、狙いを定めず一斉斉射で敵を撃つのが織田、
恐らく、この違いだけです。 伊集院何某が戦略、戦法、戦術の考案者かどうかは不明。