1980年代に吉田司家の事務職員が野球賭博に手を染め、司家の法人資金を使い果たした上に、25世吉田長孝名義の手形を乱発して総額8億円もの借金が膨れ上がっていたのである。「吉田司家が不渡りを出したようだ」との報を東京で受けた25世吉田長孝は熊本に戻って金策に奔走したが、結局年内に二度目の不渡りを出し宗教法人としての吉田司家は倒産状態に陥ってしまった。そんでもって取り潰しになったとさ。ウィキより
ちなみに代々伝わるお宝は許永中がどっかに隠してるとさ。
[匿名さん]
昭和61年5月
吉田司家倒産
同年7月23日
日本相撲協会と司家の間で関係中断を了承。
中断と言っても事実上の絶縁である。
[匿名さん]
平成5年、吉田司家は復興の目途が立ったとして日本相撲協会に復縁を申し出たが具体的な話には至らなかったという
[匿名さん]
子供の頃、ハリボテの零戦に石投げて遊んでいた記憶がある
[匿名さん]
松翁
名行司に与えられる称号だというが、力士で言えば一代年寄を与えられるような名誉ある称号だとされる。
任命権者は吉田司家であるが、司家と相撲協会の絶縁が今後も続くとすれば新たな松翁は現れないと考えられる。
[匿名さん]