>>513
超高校級だった遠山や立坂でさえ、甲子園出場を阻まれた。熊本市内勢の壁は厚い。
それに理事長さんの一気まぐれで請われた感がある鍛治者舎氏と城北の故・勝山氏を比較した際の決定的な違いとは、城北の場合、勝山氏を呼んだ関係者が昭和40年代に九州産交野球部に投手として籍を置く中、その当人が長年に亘って県の高校野球やその下地となる中学野球等を広い視野で十分に観察可能だった事にあるかと思う。
まぁ、秀岳館の場合、是が非でも全国制覇を狙うとなると、ベンチ入りを八代郡市出身者を完全無視してまで、他府県出身者で固めるとはいかないだろう。その理由は、勝山氏が赴任した当初の城北にあって、メンバー構成そのものに対する県民の憤りや反発をみれば自(おの)ずと頷けるかと思う。