ケンコバのすべらない話の狂える虎・タイガージェットシンの話は大笑い
してしまう。
[匿名さん]
アントニオ猪木30周年メモリアル・フェスティバルIN横浜アリーナ&闘魂ツアー’90
1990年9月30日 横浜アリーナ アントニオ猪木30周年メモリアル・フェスティバル
アントニオ猪木&タイガー・ジェット・シン VS ビッグバン・ベイダー&アニマル浜口
レフェリー:ニック・ボックウィンクル
[匿名さん]
ビル・ホワイトさん死去 タイガー・ジェット・シンと新宿伊勢丹前で猪木夫妻襲撃 米報道
9/8(水) 18:49配信
米国の元プロレスラー、ビル・ホワイトさんが現地時間7日に死去したと米国のメディアが伝えた。76歳。死因は不明。
“ワイルド”をリングネームに冠したホワイトさんは1964年にプロレスデビューし、カナダやWWWF(現WWE)などで活動、87年に引退した。
新日本プロレスと全日本プロレスに参戦経験があり、国際プロレスには覆面レスラーのザ・レッド・デビルとして参戦した。
新日本プロレス参戦中の73年に、タイガー・ジェット・シン、ジャック・ルージョーとともに新宿伊勢丹前でアントニオ猪木、倍賞美津子夫妻を襲撃したことでも知られる。
[匿名さん]
プロレスラーのビル・ホワイトさん76歳死去 シンらと伊勢丹で猪木襲撃 9/8(水) 20:16配信
ビル・ホワイトさんの死去を伝える米プロレスOB会カリフラワー・アレイ・クラブの公式ツイッター
新日本プロレスなどに参戦した米国人プロレスラーのビル・ホワイトさんが死去した。
7日(日本時間8日)、米国で殿堂も設けるプロレスOB会カリフラワー・アレイ・クラブが公式SNSで発表した。
死因は不明。76歳だった。
米フィラデルフィア出身のホワイトさんは73年、新日本で初来日。
同年11月にはタイガー・ジェットシン、ジャック・ルージョーともに新宿の伊勢丹でアントニオ猪木を襲撃したことでも知られる。77年には全日本プロレスに参戦し、チャンピオンカーニバルに出場。
81年には国際プロレスにも参戦し、覆面レスラーのザ・レッド・デビルとして来日していた。
06年にカリフラワー・アレイ・クラブの会員となっていた。
[匿名さん]
あの日、伊勢丹へはミスター高橋が運転する車で連れていた。
[匿名さん]
日本で有名になってから猪木以外とはレスリングでまともな試合したことが無い気がする
[匿名さん]
2021年2月25日、シンが自身の財団を通じ東日本大震災における日本の被災児童へ支援を行ったことで、日本とカナダの友好促進に貢献したとし、佐々山拓也・在トロント総領事より表彰された。
[匿名さん]
猪木から 俺の借金を一緒に返そう と誘われて 日本に来ました
騙されました~
TJシン
[匿名さん]
守銭奴馬場さんから俺のところに来れば 猪木のところより良いギャラを出すぞと言われていったんですが
1日300円多かっただけでした・・・・
さすがは馬場さんだと思いました
[匿名さん]
インドの凶虎と呼称されたが 本人は 日本の動物園で初めて虎を見たという。
[匿名さん]
アドニスは教えを受けたアトキンスの元を離れた後
猛トレーニングから解放された為に急激に肥ったらしい
[匿名さん]
新宿伊勢丹事件の真相
――しかしあなたと猪木の闘いは、決してテクニックを競うというものではありませんでした。むしろ気が狂ったように闘っていた。
シン それは私がイノキのワイフ(倍賞美津子)を新宿のショッピングセンター(伊勢丹)の前でスラップ(平手打ち)してからのことだ。イノキはその仕返しをしようとして向かってきた。彼の意識の中で何かが変わったんだろう。そして私は自分の身を守るためやり返した。そこから私とイノキの闘いはレスリングではなく戦争になった。
――その“伊勢丹事件”ですが、ミスター高橋が著書の中であれは“やらせ”だと暴露してますが……。
シン ノー。高橋がその本を書く前に私のところに連絡があって説明してきた。彼は新日本との約束が守られなかったといって怒っていた。私は「そう書いてカネが入ってハッピーになるならそれでいい」と伝えた。
[匿名さん]
――それ以降、2人の闘いはどんどんエスカレートしていきました。蔵前での火炎攻撃、大阪での腕折り……。
シン だからさっきも言ったように戦争だった。レスリングじゃない。ルールのない闘い。リング上では何が起こるかわからない。やるかやられるか。イスも使えばサーベルも使った。とてもシリアスな闘い。レフェリーがそばにいたが、そんなこと関係ない。猪木との闘いはいつも真剣なものだった。
[匿名さん]
“新宿伊勢丹事件”でライバルから仇敵へと関係が変わったタイガー・ジェット・シンとアントニオ猪木。
リング上ではNWFヘビー級のベルトをめぐる闘いを繰り広げたが、勝負をつけるというよりも、
ランバージャックマッチ(1973年11・30福山)、火炎攻撃(1974年6・20蔵前)、腕折り(同年6・26大阪)と、
互いに相手を傷つけることを目的とした抗争となった。
その中でハイライトとなるのが、シンの王座奪取(1975年3・13広島)。
それも反則絡みでなくブレーンバスターからの3カウント、完勝だった。
[匿名さん]
そういう台本だったので・・・
たまには逆の立場にでもならないと客が入らないので・・・
[匿名さん]
シン曰く
「馬場猪木は見えない所で悪いことをする。どちらが正しいかは神がお見通しということだ」
[匿名さん]
「俺がブッチャーと組むくらいならむしろ猪木と組んで、ブッチャー・馬場組と対戦してやる」
↑
こっちの方が絶対見たかったな
当時のプロレスファンだってみんな同意見だったろ
[匿名さん]
当時は善と悪のタッグチームは見たくなかったんじゃないかな。
[匿名さん]
本当は「いい人」なのに生活のために
キチガイを演じたエンターティナー
[匿名さん]
1979・8・26オールスター戦は東京スポーツ創立20周年事業という事で
第三者的立場の東スポ社長が開催実現に積極的だったこともあって
馬場ものらりくらりとかわし切れず止む無く開催を承諾せざるを得ない状況に
[匿名さん]