劇画「タイガーマスク」では、自ら犠牲になりタイガーマスクを援護射撃した好人物
[匿名さん]
昭和四十年代に馬場、猪木、坂口といった人気レスラーのビニール人形が販売されていたが、大木のものはほとんど出回らず貴重価値が高いらしい。
[匿名さん]
おい、何で100を横取りしたんだよ キリ番のゲット、これだけが俺の唯一の
楽しみなのに・・・バカ、バカ
[匿名さん]
サイン色紙持ってます
亜細亜チャンピオンと書いてます
[匿名さん]
晩年の大木は頭突き一辺倒、グランドにもっていくとか他に技らしい技は
ほとんど使わなかった。
[匿名さん]
晩年の大木は頭突き一辺倒、グランドにもっていくとか他に技らしい技は
ほとんど使わなかった。
[匿名さん]
車イスの大木金太郎の目の前に手を振って近づいてくる禿げた男がいた。
大木は眼を潤ませながら言った「完ちゃん…………」
その男は満面の笑みで大木の手を握った。
そう、この男はジョー樋口こと樋口完治であった。
大木がジョー樋口を「完ちゃん」と呼ぶなら
大木はアントニオ猪木を何と呼んでいたのか?
まさか樋口と同じく「寛ちゃん」と呼んでいたとは考えにくい。区別がつけにくいからである。
大木は若い頃はジャイアント馬場を「馬場ちゃん」と呼んでいたことはわかっている。
しかし猪木を何と呼んでいたのかは記事や記録を紐解いてもわからないのである。
猪木のリングネームは猪木寛治、死神酋長、猪木寛至、アントニオ猪木、トーキヨージョーなどであるが
大木と一緒にいた頃は猪木寛治かアントニオ猪木としか名乗っていないであろう。
私はてっきり大木は猪木を「寛ちゃん」と呼んでいたものとばかりに思っていたが、どうやらそうではなかったのだと大木金太郎とジョー樋口の再会の場面で気付いたのである。
[匿名さん]
キムドクという大木の弟分がいたことを知る人は少ない
[匿名さん]
パク・ソンはそれほどのレスラーでは無かった
テクはキム・ドクが上
[匿名さん]
【ソウル聯合ニュース】大木金太郎のリングネームで日本のプロレス界で活躍した故金一(キム・イル)さんが大韓体育会(韓国オリンピック委員会)のスポーツ英雄名誉の殿堂入りを果たした。
[匿名さん]
こいつのガウンは原爆の絵だったから今だったら問題になってる
[匿名さん]
大木 金太郎(おおき きんたろう、1929年2月24日 - 2006年10月26日)は、大韓民国(日本統治時代の朝鮮)・全羅南道高興郡金山面出身のプロレスラー。本名は金一(キム・イル、김일)。身長185cm、体重120kg(現役当時)。生年については当初1933年と公表していた。1994年国民勲章石榴章[1]、2000年体育勲章猛虎章、2006年体育勲章青龍章追叙[2]
[匿名さん]
清水アナウンサーは「キム・イル大木金太郎」と丁寧に連呼していた
[匿名さん]