クリスマスプレゼントはもう・・幼い頃なので憶えていない。
バンダイの玩具だっただろうか・・
[匿名さん]
お金持ちはメタルテープ、中流はクロムテープ、貧乏はノーマルテープ。
[匿名さん]
子供の頃うちは貧しかったから、クリスマスは私に、夢見る事と諦める事を、同時に教えてくれました。
[匿名さん]
「恋人がサンタクロース/松任谷由実」(詞・曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆)の曲は
友達のレコードで聴いたのが初めて。
「クリスマスイブ/山下達郎」はいい雰囲気。
「雪にかいたLOVE LETTER/菊池桃子」(作詞:秋元康 作・編曲:林哲司)は
ヒットメーカー・林哲司氏の作曲だからいいと思った。間奏が最高。
「Last Christmas/Wham!」はムードはいいが日本語訳の詞を見ていると悲しさに溢れた歌。
レコードSHOPに行ったら同曲の広告があったっけ。
[匿名さん]
カラオケBOXなんてないから、忘年会二次会は
スナックかバーで酒を飲むことがほとんどだった。
[匿名さん]
「お節もいいけどカレーもね!」(出演・キャンディーズ)というコマーシャルの
セリフを思い出す。夏と違ってカレーは食べる気になれなかった(笑)。
年越そばと鰹節から出汁をとった雑煮が楽しみだった。
[匿名さん]
映画「惑星大戦争」(77年<昭和52年>主演・森田健作 キャスト・浅野ゆう子、宮内洋、大滝秀治ほか)
太陽系外惑星から来た異星人の地球侵略に抵抗するため、宇宙防衛艦「轟天」が
金星を基地とした「大魔艦」に立ち向かう。SFブームの影響によって製作された邦画。
[匿名さん]
夜中、早朝と昼夜逆転。
レスは寝る前にですか?
爺さん?
[匿名さん]
80年(昭和55年)は漫才ブーム。大晦日も
紅白の裏で漫才だけの特番を放映していた。
西川きよし・横山やすし、ツービート(山形県出身・ビートきよし)、
ザ・ぼんちなどが熱のこもった漫才だった。
[匿名さん]
B&Bは「笑っている場合ですよ!」(フジテレビ)の
司会も務めていましたよね。
「笑っていいとも!」(司会・タモリ)の前の番組だと思いました。
[匿名さん]
忘年会や新年会二次会のカラオケでは安全地帯、
聖子、明菜、サザン、吉川晃司あたりがよく歌われていたなぁ。
サザンになるとさすがにモノマネだった(笑)。
[匿名さん]
山形駅前にあった食堂で、学生中華と称して100円?だったか?メンマもチャーシューも入って無かったが、高校の帰り友人とよく世話になった。
[匿名さん]
かつての高校サッカー界は公立優位。清水東高、清水市商高(現・清水桜ケ丘高)、
水戸商高、古河一高、浦和南高、浦和市立高(現・市立浦和高)等々・・
本県からは83年の鶴岡南高(鶴岡市)、84年の山形東高と、
「公立進学校2年連続出場」という快挙があった。
[匿名さん]
1月15日が成人の日だった。
山形放送の成人式ニュースで
友達が映っていたのを思い出す。
[匿名さん]
鎌倉時代のNHK大河ドラマというと79年「草燃える」(石坂浩二・岩下志麻主演)があった。
女優が主演だったので前年「黄金の日日」に比べると雰囲気がだいぶ違った。
[匿名さん]
81年だったか・・六本木(東京都港区)の元旦早朝を伝える新年特集番組を放映していた。
あるレストランでは仕事を終えた松本伊代が食事をしていた。別のカレーショップではB&Bの島田洋七が食事をしていた。
77年元旦に前日のレコード大賞各受賞者が集う番組が放映されていた。昨年(21年)死去した小林亜星氏作曲の
「北の宿から」で大賞受賞の都はるみ、最優秀歌唱賞・八代亜紀らが出演していた。
78年にも同番組が放映。この年は「勝手にしやがれ」で大賞受賞のジュリー・沢田研二や特別賞・小林旭、
企画賞・ビューティーペア、新人賞・狩人、高田みづえ、太川陽介らが出演していた。
[匿名さん]
ここに書いてるジジイ達は、負け組だろうな(笑)
こうはなりたくねぇな(笑)
[匿名さん]
常に髪形リーゼントパーマに拘ってたよね
身だしなみの服装に靴にも。
[匿名さん]
84年(昭和59年)サラエボ冬季オリンピックで黒岩彰(専修大学)が
1000m9位に終わり、悔しそうにしていた表情を鮮明に憶えている。
ただ、それがカルガリーオリンピックでの銅メダルにつながった。
[匿名さん]