>>11
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私は貴方とは相容れない立場の者ですが、貴方の切り口はなかなか鋭くて良いと思います。
日蓮聖人の仏法の真骨頂は薬王菩薩すなわち天台大師の極説、一念三千の妙観を法華経の虚空会の相貌をかりて図顕され、南無妙法蓮華経の唱題行を立てられたことにあります。
仏法の究極は理屈ではありません。
思考や論理を超越しているから妙法なのであります。
西洋哲学の終点はヘーゲルではなくカントであると思いますが、ロゴスを至上に据えた理論理性の行き着く先は所詮、二律背反です。
創価学会はカント哲学の説く真・善・美を利・美・善に置き換えて価値論なる低級な似非哲学に貶めているのですから、なるほど貴方の仰せのように「腐れ外道」なわけです(笑)
彼らは利・美・善という勝手気儘な邪説を基準に仏法を推し測り、日蓮聖人の妙法曼陀羅を選びとっているのですから、いくら自分たちが仏法だと主張しても所詮は便利な「もの」を利用しているにすぎません。
彼らは一幅の御本尊を自分の外に有ると思っています。
つまり仏壇の中の御本尊と己心の御本尊とは別物だと勘違いしているのです。
外界は全て我が心の顕れであることを知りません。
日蓮聖人が「月こそ心よ、花こそ心よ」と説かれているにもかかわらず。
だから、「幸福製造機」などと馬鹿なことが平気で言えるし、貴方が指摘したような御本尊を使い捨てにするようなことが平気で出来るわけです。
つまり、「創価学会」とは自分たちは外道でございますと自己紹介しているようなものです。
エマニエルカントの真・善・美は仏法に通じるところがありますが、創価学会の利・美・善は仏法を侮辱しカント哲学を冒涜しているのです。