80年夏に出場した時のエースは間瀬で
槙原(元巨人)は背番号15の控え投手だった。
明石商(兵庫)に今年のレギュラーで
来田という選手がいるので思い出した。
予選で打率8割の記録を引っ提げた来田
(きだ)を擁する浜田(島根)と対戦し、勝利。
2回戦で伊東勤(元西武ほか)を
擁した熊本工(熊本)に敗れた。
[匿名さん]
ユニのO B U3文字はダサい。漢字で右胸と左胸にデカく大府にしろ
[匿名さん]
80年夏出場時は「OBUKO」の5文字だった。
左右のバランスが良かった。
「週刊朝日別冊〜49代表校紹介号〜」によると80年夏の大府は
上位候補ではあったものの優勝まで予想した関係者は全くいなかったらしい。
アレヨ、アレヨという間に勝ち進み、
大方の予想を覆しての見事な出場だった。
[匿名さん]
槙原、御坊商工に負けたんだっけ?
いや、報徳学園だったような気がする
金村に打たれたよね?
[匿名さん]
牛蒡商工に4−0敗退。
記憶では雨中の戦いだったと思います。
御坊商工の藪投手はコントロールの良い投手で、キャッチャーの構えたミットに、ズバズバと良い球を放ってました。
大府打線は打てなかったですね。
[匿名さん]
昔、大府に住んでいたから愛着あるよ!
公立だしね😃
[匿名さん]
○80年夏は小粒といわれながら下馬評を覆し、
全国へ勝ち上がったと聞いています。
当時のエースは間瀬啓介(東海大−
トヨタ自動車−同・元監督)でした。
たしかに工藤公康を擁した夏の名電や3年後の藤王康晴(元ハム)を
擁した享栄などと比べると、あまり迫力がなかった感じがします。
○81年春、報徳学園(兵庫)に勝ち御坊商工(現・紀央館/和歌山)に
敗れたときのチームは打線についての意見がくっきりと分かれました。
「ひ弱な打線」という意見と「県予選・東海大会では
好投手が多いため点が取れなかっただけ。
馬場や関といった経験者を残す上、むしろ新チーム以来完封負けが
一度もないところに注目」という意見がありました。
[匿名さん]
2年時の槙原(元巨人)は行く先はボールに
聞いてくれというノーコン投手。
新チームになり自覚が芽生え、制球が付いて
東海大会の優勝投手になった。
ただ、選抜の時点ではまだ駆け引きが
今ひとつという評価だった。
しかし、好投手揃いの東海大会で
優勝投手となったから大したものだった。
決勝でも翌年(81年)選抜で西川佳明(元南海)、吉村禎章(元巨人)、若井基安(元南海)らを擁する強打・PL学園(大阪)を
本塁打1本だけの最小失点に抑えた東海大工(現・東海大翔洋/静岡)・成田に投げ勝っている。
[匿名さん]
夏のベスト4は西愛知代表になった時以来、13年ぶり?
[匿名さん]