佐山タイガーのモノマネする人出てくるとは夢にも思わなかったが
メチャ似ててメチャ笑うた。
ハリウッドザコシショウ
あのステップは激似
[匿名さん]
MSGのリングで一番客が盛り上がった技がフィンタ・デ・レギレテだった。どんな華麗なタイガー殺法よりもロープクルンのフェイントに歓声が上がった
[匿名さん]
現役バリバリの時に大仁田とシングルマッチをしてボコボコにしてもらいたかった。
当時は会社が止めたんやろな。
大仁田が弱すぎて。
[匿名さん]
パーキンソンで車椅子かぁ
猪木さんもだけど元気になってほしいね
[匿名さん]
対ウルトラマン戦で
ウルトラマンがスペシューム光線のポーズを試合中やった瞬間のなんとも
気まずそうな態度が全て
「これは何かの練習なんだと思ってリングに上がっていた」
ケーフェイよひ
[匿名さん]
佐山はケーフェイの出版には最後まで反対していたが当時の側近に押し切られてしまった
ある意味純粋なので何となく「まあいいか」と周りの雰囲気に流される一面も
[匿名さん]
晩年のリアルジャパンやレジェンドでの試合はとてもじゃないが言ってたコトとやってるコトが違い過ぎてて大草原
[匿名さん]
UWFから追い出され、0から立ちあげて年月かけて創り上げた修斗から追い出され…
[匿名さん]
タイガーマスクvsダイナマイトキッドこそ真の名勝負数え詩
[匿名さん]
甘いマスクに響き渡る声、類稀な身体能力、ライオンマークのTシャツが似合う柔らかさがある逆三角形の理想体型 ビジュアルには全く無頓着だから数年後には見る影もない。
[匿名さん]
「欽ちゃんのどこまでやるの?」でマスクを脱ぎ素顔をさらした時はショックだった
[匿名さん]
次のタイガーの名前を「ポストタイガー」だと思った小学生の俺。
[匿名さん]
タイガーマスクのライバルはブラックタイガー(マーク・ロコ)に成るんだけど
日本の動物園にも何匹か実在する、ホワイトタイガーをマスクマンにして
タイガーマスクの味方にしたほうが、アイデァとしては良いような気がする。
[匿名さん]
サムソン・クツワダは日テレ版ドラえもんみたいな扱い
[匿名さん]
♪ぼくのドラえもんが街を歩けば
みんながみんな 振り返るよ
[匿名さん]
佐山初代タイガーが武尊(たける、K1格闘家)に7代目のタイガーマスクの要請をしたという記事を
昨日、読んだ。どういうことだろうか?? 武尊は現在は休業中で、そこに佐山サトルと合体して
何をする??
[匿名さん]
初代タイガー(佐山)・・・ネットのアンケートで好きな覆面、ペイントレスラーの第一位に選ばれてたね。
でも初代タイガーて過大評価されてないか・ あの時代は、ああいう動けるレスラーが少なかったから
よけいに衝撃的に写ったのかもね。
[匿名さん]
受けのレスリングは出来ない(しない)から
どちらかといえばヒーローショーに近い
[匿名さん]
でもブラックタイガー戦、グラン浜田戦では
かなり追い込まれていた記憶
[匿名さん]
ヨーロッパの実力者、スティーブライトとグラン浜田は、ちょっと手こづってた印象が有る。
浜田さんは、その道、ジュニアの開拓者なんで、ちょっと遠慮、気後れしたのかな・
両者リングアウトで、グラン浜田戦は苦戦してたね
[匿名さん]
あの頃毎週のワールドプロレスリング中継が楽しみだった
早く金曜夜8時が来ないかなって
[匿名さん]
大量離脱後は実況芸人古舘伊知郎の新ネタを楽しむ番組になっていた
[匿名さん]
「僕はメキシコに行っても、イギリスに行っても、
そして日本に帰ってきてタイガーマスクになってからも、
猪木さんの『お前を格闘技の第1号にする』という
その一言を信じてやっていましたから。
『いつかは格闘技を』という思いで、プロレスをやってきていたんですよ。
でも、タイガーマスクを始めて1年ぐらいして、
『俺はここにいても、格闘技はできないんだな』と完全に気づいてしまったんです。
また、あの頃はもう新日本全体がプロレスブームに浮かれてしまっていて、
興行優先、視聴率優先、『とにかく派手なことをやってくれ』みたいな感じになってしまっていた。
そして肝心の猪木さんも(個人的事業である)アントンハイセルの資金繰りで手一杯で、
病気(糖尿病)でもあったし、僕が格闘技をやる話なんか、おくびにも出せない状況。
そして、僕に求められてるのは、とにかくタイガーマスクであることだったので、
『ああ、格闘技をやるのは、もう無理なんだな』と。
気持ちがサーッと引いていってしまったんです」(佐山)
[匿名さん]
プロレス団体は興行優先
まともに格闘技やる気なんてないだろ
そんな気があれば毎日試合なんてやらんよ
[匿名さん]
佐山が海外遠征に出る前と、タイガーマスクとして帰ってきたあとの
新日本プロレスは、状況が大きく変わっていた。
猪木の異種格闘技路線は、1980年2月のウィリー・ウィリアムス戦で
すでに一旦終止符が打たれており、
新日マットから格闘技色は一掃され、華やかなアメリカンプロレスが中心となっていた。
ハルク・ホーガンが人気を博し、タイガーマスクの空中殺法目当ての
ちびっ子ファンが多数詰めかける会場に、もはや殺伐とした格闘技は必要とされていない。
佐山がそんな新日本の変質に気づくのに時間はかからなかった。
[匿名さん]
タイガーマスクの人気が上がれば上がるほど、
新日本のストロングスタイルが空洞化していくことに、
佐山のストレスは限界に達した。
すべてに嫌気が差し、『もう名声も何もいらない。
これからは、自分のやりたい格闘技を、自分の手でイチからやっていこう』と決意したのだ。
そしてタイガーマスクは’83年8月4日、蔵前国技館での寺西勇戦を最後に、
人気絶頂のまま突如としてリングを去った。
[匿名さん]
最近はYouTubeとかで当時のタイガーのみならず、
マスク被る前の佐山サトルやサミー・リー時代の動画も見れるようになって、
改めて佐山聡が不世出の天才なんだと思った。
[匿名さん]
飛んだり跳ねたりクルクル回ったり、といったムーブにみんな熱狂した。
でも佐山タイガーはそれだけではなかった。打撃、グラウンドの強さも兼ね備えていた。
加えて、天性と思われる身体のしなやかさ、柔らかさ。
それ以降、こんなレスラーは現れていないのです。
だから伝説のレスラーなんです。
[匿名さん]
10年位前からYouTubeで見れます 19才の佐山
スーパースター列伝ほどのボロ負けでは無かった
[匿名さん]