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三島と福島次郎の最初の出会いから15年後、幾多の紆余曲折を経て
ふたりは奔馬の国でまみえる。
三島事件のおよそ4年前1966年、昭和41年8月27日、熊本、「ホテル・キャッスル」。
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。 『三島由紀夫、剣と寒紅』
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、熱い再会だった。
三島の熊本行きは明治9年に熊本で起きた「神風連事件」と蓮田善明の取材が目的という
ことだった。『豊饒の海』第2巻「奔馬」執筆のための資料である。
「前略 突然ですが小生急にこの夏のをはり熊本を訪問することに決めました。
、、どうしても熊本へ行かなければ神風連の精神がつかめないやうな気がしだしたのです。、、」
という手紙が福島のところに来たのは7月の半ばであった。
熊本での取材中、福島次郎は三島の傍を片時も離れなかった。
そして31日の取材最終日、新市街地の通りの骨董屋で三島は福島とともに
およそ7万円で日本刀を購入する。(『剣と寒紅』)
三島由紀夫が武道に走った重要な契機は「右翼に対する深刻な恐怖であったことは
間違いない。」と三島の実弟・千之氏は言う。(『三島由紀夫の生涯』安藤武著)
1960年深沢七郎の名作『風流夢譚』を三島由紀夫は熱狂的に支持して中央公論に
推薦した。
その画期的な文学作品に右翼は例によって謂れなき脅迫を繰り返した。
テロが吹き荒れる。
日本の言論は今と同じように右翼暴力団の前に完全に無力であった。