このうち、熊谷市は中島飛行機の部品製造の重要拠点の一つ、または同社製品の重要な分配基地の一つとして見なされていた。戦後、米国戦略爆撃調査団によりまとめられた調査報告書には次のように記されている。
[匿名さん]
識別可能な工場として秩父鉄道石原駅のすぐ南側に位置する市内月見町の熊谷航空工業、市街地の東端に位置する市内末広の理研工業熊谷工場、国有鉄道熊谷駅と貨物ターミナルのちょうど南東に位置するhinode worksを挙げている。その中で特に熊谷航空工業については中島飛行機の子会社として部品製造やエンジン製造に関わり、中島飛行機太田製作所や小泉製作所や大宮製作所などの主要工場に付属する施設であると特定し、攻撃目標90.13-1650番に指定した。
工場爆撃を目的とする場合は高高度からの精密爆撃が行われるのが常で、その際にはM64 500ポンド爆弾などが使用されたが、熊谷市に対する攻撃に際してはM47、M69焼夷弾が主に用いられるなど、あらかじめ住宅地域を対象とした作戦となった。
[匿名さん]
8月15日の空襲。 日本が降伏するのを知ったアメリカは 持ってきた爆弾をみんな落としていった。どうせ必要無くなるしね。
なので1平方キロメートルあたりの爆弾落下数は、八王子が1番。 そして終戦がわかってからの空襲の熊谷が2番目に多かった。
無意味な空襲
[匿名さん]
熊谷はとんだとばっちりうけたよな
熊谷市は本来攻撃リストになかったらしいが
太田市に落とした一部の爆弾と焼夷弾が風に流されて被害が出たらしい。 太田市の街づくりは鉄筋コンクリート造の近代化が進んでおり被害はそれ程ではなかったが、熊谷市は藁葺き屋根の家や竪穴式住居がまだ一般的であったため少ない焼夷弾でかなりの被害が出てしまったとどこかのスレッドに書いてありました。
[匿名さん]
第二本町区(本三四)の山車が燃えなかった経緯を知りたい。
[匿名さん]