ナショナルからパナソニックに変えてからダメになった。
[匿名さん]
貝の笛と駅弁と顔面シャワーを庶民への革命だと紹介する。
[匿名さん]
枚方パークの近所に松下体育館や研修センター施設あるからそこに移築したのよ10年ほど前に。因みにボブ・ディラン初来日の大阪公演はこの枚方松下体育館やったんやで。
[匿名さん]
松下魂まだあるんなら、まともなラジカセとかVHS再生機とかMDとか一機種くらいお手軽な価格の商品つくって売っとけよ。庶民の電機メーカーやろが!
[匿名さん]
昔は人件費がとても安く高品質で安いものが日本でも作れた。
こんな時代は日本には二度と来ない。
次は韓国、次は中国、その次はインドかな。
[匿名さん]
今年の春、松下本社の桜公園と記念館いった。おもしろかった。けどたしかにいまパナの商品て?なるとおもた。
[匿名さん]
漫画、アニメの題材ともなった
◆駿河城(駿府城)御前試合◆
出場剣士22名
敗北による死者8名
相打ちによる死者6名
射殺2名
生還者6名 内2名重症
寛永6年9月24日、
徳川大納言忠長(二代将軍秀忠の三男、生母は織田信長の妹お市の方の三女江
後に数々の乱行、奇行から兄である徳川三代将軍家光を幾たびか憤慨させ、蟄居をくらう。
寛永10年12月6日、幕命により高崎の大信寺において自刃 享年28)
[匿名さん]
この忠長の面前で上覧試合が行われた。
近習の者たちはあたら貴重な一芸の武士を斯様な果たし合いで死なせるわけには行かないと諌めようとしたが忠長は頑として聞こうとしなかった。
よって
※真剣をもってせしめるの儀
試合は壮絶を極め
城内南広場に敷きつめられた白砂は血の海と化し、死臭があたりに漂い、見物の侍さえもひそかに列を退き、嘔吐する者もあった。しかし忠長は終わりまで平然と全試合を見届けたという。
この試合については、忠長のその後の所行のこと、及び試合のあまりの凄惨さのために流伝することは禁じられたが、席上に居合わせた者がひそかに書き残したものが読み伝えられて寛永御前試合として知られるようになったという。
その実態は静岡県在住某氏家伝の「駿河大納言秘記」写本にて伝えられたものである。
[匿名さん]
天下布武っていいならが天下統一を狙ってなかったと?
[匿名さん]
勝てば官軍
秀吉が書かせた書物で秀吉を高めるためにボロクソに書かせたから
[匿名さん]
全国狙わないわけなし
毛利の鳥取や高松城まで落としたわけで
[匿名さん]
比叡山の焼き討ちは明智くんもやる気満々だったけどな
[匿名さん]
焼き討ちを進言したのは明智くんやろ
ってこの時代寺焼く事はよくあること
[匿名さん]