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2020/02/21 07:46
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【イージス艦衝突事故】裁判の行方
当直2士官にきょう判決=漁船側の航跡など焦点−イージス艦衝突事故・横浜地裁

 千葉県房総半島沖で2008年2月、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と衝突した漁船「清徳丸」の父子が死亡した事故で、業務上過失致死と業務上過失往来危険の罪に問われた元あたご当直士官2人の判決公判が11日、横浜地裁(秋山敬裁判長)である。
 検察側は、元水雷長の長岩友久(37)、元航海長後瀉桂太郎(38)両被告にそれぞれ禁錮2年を求刑。両被告側は無罪を主張している。
 公判は清徳丸の航跡をめぐり、検察と弁護側が鋭く対立。論告で検察側は、海上衝突予防法に基づき、清徳丸を右方向に見るあたご側に回避義務があったと主張。両被告の公判陳述について「自分たちがミスを犯すはずがないという過信が透けて見える。これが事故を招いた最大の原因だ」と厳しく指摘した。
 弁護側は最終弁論で、検察側が主張する航跡は「つくられた航跡」と否定。独自に鑑定を実施し、「清徳丸が予想不可能な航行をしなければ、あたごの後方を安全に通過した。両被告に過失はない」と主張した。(2011/05/11-05:54)
報告閲覧数59レス数14
合計:

#12011/05/11 10:19
速報!

両被告に無罪判決

[匿名さん]

#22011/05/11 10:24
当然だろ

[匿名さん]

#32011/05/11 18:23
防衛省も驚いた…あたご衝突2士官無罪

 無罪判決に防衛省内でも驚きが広がった。

 事故をめぐっては、2009年1月に横浜地方海難審判所が、あたご側の監視不十分が事故の
原因だったと裁決。海自の事故調査委員会も同年5月にまとめた報告書で、不適切な見張りや、
艦橋とCIC(戦闘指揮所)の間の連携が不十分だったことを事故の直接的要因と指摘していた。

 海自はこれを受けて、当直体制や見張り要領の見直しなど再発防止策に取り組んでいた。それ
だけに、ある幹部は「海難審判ではあたご側に原因があるとされたので、2人とも無罪というの
は全く予想していなかった」と驚きを口にした。

 別の幹部は「防衛省としてはすでに事故調査報告書で非を認めている。今回の判決は個人の罪
を認めなかっただけで、事故を起こした責任があることに変わりはなく、今後も再発防止に努め
るしかない」と複雑な表情で語った。

 杉本正彦・海上幕僚長は「本件は個人の刑事裁判であり、判決についてのコメントは差し控え
させていただく。この痛ましい事故を忘れることなく、再発防止を図っていく」とのコメントを
出した。

(2011年5月11日12時00分 読売新聞)

[匿名さん]

#42011/05/23 09:31
変態ホモ野郎


変態ホモ野郎


変態ホモ野郎


変態ホモ野郎


変態ホモ野郎

[匿名さん]

#52011/05/23 20:27
↑おかしな人ね

[匿名さん]

#6
この投稿は削除されました

#72011/05/25 21:23
あたご衝突:検察側が控訴 (21時14分)

[匿名さん]

#82011/06/20 16:51
海自掃海艇と漁船が接触、けが人なし 兵庫・淡路沖
朝日新聞2011年6月20日14時15分

 20日午前9時ごろ、兵庫県淡路市の沖合約700メートルの海上で、海上自衛隊佐世保地方隊沖縄基地隊所属の掃海艇「くろしま」(510トン、西尾実艇長)と、東二見漁協(兵庫県明石市)所属の漁船・住吉丸(2.5トン、大西教生(みちお)船長)が接触した。神戸海上保安部によると、住吉丸の船首が損傷し、「くろしま」の右船尾にすったような傷ができていたという。「くろしま」には艇長を含め41人が、住吉丸には大西船長1人が乗っていたが、いずれもけがはなかった。

[匿名さん]

#92011/06/20 18:53
雫石事件を忘れるな

[匿名さん]

#102013/06/11 22:12
【裁判】イージス艦衝突、二審も無罪=当直2士官、「回避義務なし」−東京高裁

[匿名さん]

#112013/06/12 08:21
マスゴミが海自を犯罪者扱い!最初から無罪です。

[匿名さん]

#122013/06/25 09:34
【裁判】2008年イージス艦「あたご」、漁船衝突事故 海自自衛艦2人の無罪確定へ 高検が上告を断念する方針

[匿名さん]

#132013/06/25 10:02
公平な、裁判やれば当然です。しかし自衛官の矛盾は、何故?他国なら軍事裁判です、

我らは、民事裁判なのか、これからの課題です。

[匿名さん]

#142020/02/21 07:46最新レス
石破茂、いまも続ける「漁船衝突事故」遺族とバーベキュー

2020年2月21日 6時0分 Smart FLASH

2019年夏、吉清美恵子さん(前列右端)と親族とのバーベキューにて(写真提供・美恵子さん)

「これだけマスコミが来たのは、“あの事故” 以来だね」

 新型コロナウイルスの感染拡大で、中国・武漢市から帰国した日本人を受け入れた「勝浦ホテル三日月」がある、千葉県勝浦市。現地で話を聞くと、市民から、そんな言葉が聞こえてきた。

“あの事故” とは、2008年2月19日に起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と、漁船「清徳丸」の衝突・沈没事故のことだ。清徳丸船長の吉清治夫さん(当時58)と長男の哲大さん(同・23)が、帰らぬ人となってしまった。

「今回、ホテル三日月がニュースになったのを見て、私も思い出しちゃったの。あの事故のときも、2月末に予定していた『かつうらビッグひな祭り』が中止になりそうだったなって」

 そう語るのは、治夫さんの自宅だった家に現在ひとりで暮らす、治夫さんの妹・吉清美恵子さん(64)。事故当日、現場の野島崎沖は穏やかだった。

「私、穏やかな海を見るのが好きじゃないんです。事故のときも暖かくて、風がなくて、穏やかな海だった。だから、事故の日を思い出しちゃって、涙が出るの」(美恵子さん、以下同)

 美恵子さんは、「いまだに亡くなった2人が夢に出る」と言う。

「川津港の港口を見渡せる高台に、2人のお墓があります。私は港口を、まともに見られない。でもね、いつも2人は一緒に、いい顔で夢に出てくるの。それが救いなんです」

 それでも美恵子さんは、「誰かを恨むこともない」という。

「今年で13回忌。毎年2月の命日には、海上自衛隊の方が来てくれます。それから、石破茂さんが、毎夏のお盆に、ひとりで線香をあげに来てくれるので、みんなでバーベキューをするんですよ。

 石破さんは、『なにか困ったことある?』と、いつもいろいろと愚痴を聞いてくれる。私と同世代ということもあって、キャンディーズの話で盛り上がったりね(笑)。おかげで、ここまでやってこられました。人を恨まないで、なんとか……」

[匿名さん]


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