NWAが崩壊して豪華外人路線が取れなくなって、どうすればいいのか分からなくなりターザンに頼ったのか
[匿名さん]
周りがどう思うかだな。
馬場とターザン山本はそれで良くても同じ全日のレスラー、フロントは相当嫌がっていた。特に鶴田、渕、ハンセン。
当然、馬場と山本の間には元子さんも入ってくる。そんな状況を三沢本人が嫌がっていた。
そんな状況は当然、他団体にも伝わり週プロ取材拒否に繋がっていった。
三沢本人はさすがに馬場を裏切る事は出来なかったが、馬場の死後〜NOAHを立ち上げた。
[匿名さん]
「馬場さんはよくジャンボを長男、俺を次男に例えて話していたよ。」
「タイガージェットシンなんかが来ると場外でガチャガチャやって客に向かってオッー👊なんてやってたよ。そんなジャンボにうんざりだったよ」
天龍源一郎
[匿名さん]
試合中盤以降に大技を喰らうと、やや大きめの痙攣を起こしていましたね。
[匿名さん]
三沢に対しては我が子以上に愛情も持って接して大事に大切に面倒を見てあげたのに(´;ω;`)ウゥゥ
byしょうへい
[匿名さん]
プロレスを「こんなもんだろう」と適当に舐めた演出をしている鶴田に嫌悪感を抱いた天龍
[匿名さん]
鶴田はプロレスを「職業」として割り切っていた。
プロレスは格闘技ではなく「エンターテイメント」。プロレスラーは格闘家ではなく「エンターテイナー」と認識していた。
[匿名さん]
1977年8月25日に行われたミル・マスカラスとの田園コロシアム決戦が評価され、東京スポーツ主催のプロレス大賞において3年連続年間最高試合賞(ベストバウト)を受賞
(他の2試合は1976年3月28日に蔵前国技館で行われたUNヘビー級選手権試合の鶴田vs木村戦と、1978年1月20日に北海道帯広市総合体育館で行われたNWA世界ヘビー級選手権試合のハーリー・レイスvs鶴田戦)
[匿名さん]
格下の選手にもバックドロップ使わなきゃ勝てないって何なん?
その後に手4つでフォールするのに見てて不快だったわ
[匿名さん]
鶴田は日本人相手だとやりにくそうだった。
ブロディ、レイス、ブッチャー、ファンクス相手だと伸び伸びやっていた
[匿名さん]
「鶴田……俺はあの時つくづく犬になりてぇと思ったよ」」
[匿名さん]
全日本はどうしても鶴田にAWAを獲って欲しかったんだな。
まああの当時は鶴田しか居なかったし
天龍はUNに絞ってたしな👍
[■匿名希望■]
「UN?何で俺がジャンボのおさがりのベルトに挑戦しなきゃならないんだ?……当時はそんな気持ちだったよ」
天龍源一郎
[匿名さん]
「鶴田は天才だった。半年経ったら教える事がなくなったよ」
ドリーファンクJr
[匿名さん]
鶴田のオリンピック戦績って悲惨なものだろ 威張れるほどではない
[匿名さん]
アマレスのルールでアマレスやったら長州、谷津、馳、マサ斎藤が強いさ。
プロレスのルールでプロレスやったら鶴田が強いさ。
相撲のルールで相撲やったら天龍が強いさ。
それだけの話
[匿名さん]
長州は韓国籍の為に韓国代表としてミュンヘンオリンピックに出場。
当然、韓国で予選を戦い代表になった。その時は「日本のレベルに比べて「こんな物か?」と思った。」
更にオリンピックでは「世界レベルは俺が押しても引いてもビクともしなかった」
[匿名さん]
スタミナは間違いなく世界でもトップレベルだった鶴田
[匿名さん]
鶴田は外人レスラーとは相性が良かった。外人からは評判も良かった。
プロレスの約束事を守り絶対、相手に怪我をさせないから信用があった。
逆に長州は外人レスラーから「チビでしょっぱい奴」と言われていた。
[匿名さん]
鶴田は学生時代、猫と一緒に昼寝していて寝返りを打ち猫を圧死させてしまった。
まさに怪物。
[匿名さん]
とっくの昔に死んでいないのだから、もうスレ上げるなよ
[匿名さん]
当時、天龍、長州。大人になって動画みると鶴田、藤波。若い時トップロープをジャンプして入場して他のは2人だけのような。スタミナ、技の受け方などやはり鶴田が最強、プロレスなら鶴田、アマレスなら長州。
[匿名さん]