スモーピオンデスロックとか全く流行らなかったな(笑)
[匿名さん]
SWS移籍直後にイメージチェンジを計ろうと、レガース着けてミドルキック出してみたり、四の字アキレス腱固めという謎の技を繰り出すなど色々やってましたな
[匿名さん]
後藤達俊とのシングルマッチ見たかった。後藤達俊と組んで天龍と阿修羅原の試合見たかった。
[匿名さん]
ボブバックランド
ヒロ斎藤
vs
後藤達俊
石川敬士
[匿名さん]
忘れていた二流外国人レスラーでもネットで逝去記事が出るから、それは無い。
[匿名さん]
ジュニアの小林にヘロヘロにされる石川
引き分けがやっと
[匿名さん]
名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱など数多くのタイトルを獲得
[匿名さん]
それは輪島大士さん 相撲時代の「黄金の左」下手投げが語源
[匿名さん]
輪島とは日本大学相撲部、大相撲花籠部屋で先輩後輩の間柄
[匿名さん]
あまり知られていないが
石川敬士の祖父は石川五右衛門である
[匿名さん]
大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。大相撲時代は身長179cm、体重123kg。
大学卒業後は大相撲の花籠部屋へ入門、1975年3月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵。
アマチュア横綱経験者が初めて角界入りしたとして当初は注目を浴びた。
巨漢ではないが取り口が巧みで、期待の技巧派力士として順調に幕内まで昇進するものの、糖尿病の再発を理由に24歳、1977年7月場所をもって廃業。
なお四股名の大ノ海は、師匠であった11代花籠親方(元前頭3枚目:大ノ海久光)の四股名でもあり、それだけ将来を嘱望されていた。
[匿名さん]
期待されるも力士としても、プロレスラーとしても中途半端な存在で終えた。
[匿名さん]
山形県鶴岡市出身 酒田南高在籍時、国体・高校の部で優勝
[匿名さん]
大仁田の引退試合(二回目)の相手をハヤブサに譲ったあたりがピーク
[匿名さん]
ケンドーコバヤシがやるものまね
「サソリ固めを決めた時の石川」
[匿名さん]
死んではいないみたいだけど20年以上前に引退して
天龍みたいにマスコミの話題に上ることも無いから仕方ない
[匿名さん]
地味な割には試合のTV中継は多かったような気がする
[匿名さん]
全日時代、長州が来る前はアジアタッグ王者として長州が来てからはヤラレ役としてかな
[匿名さん]
年配の渋い男性ファンはいた、しかし若いピチピチした女性ファンはいなかった。
[匿名さん]
雑魚のイメージしかない
ジュニアの小林邦昭に負けそうになった
谷津嘉章に手四つでピンフォールされた
長州のリキラリアットに爆沈
ウォリアーズ戦で1分台で仕留められた
相撲タックルが全然通用せずに弾き飛ばされた
[匿名さん]