昔はあった 大阪球場でのキニスキー戦やNWAに挑戦したドリー戦など
60分3本勝負で時間切れ引き分け
[匿名さん]
右足を上げただけで 客は拍手喝采してたし
相手レスラーは 足めがけて突進して 倒れる演技してくれるし
最高の 大道芸人だったなあ~
[匿名さん]
そのうち馬場の強さは伝説となり
世界の人々から 爆笑されるに違いないという確信が持てた
[匿名さん]
そもそも馬場は楽しそうにプロレスをしていたねえ~
楽な商売だと知ってたからねえ~
[匿名さん]
ははははははははは
強いのなんの・・・・
子供相手に戦ったよ~
[匿名さん]
ここの連中は長州がチビとかセカンドロープより足が短いとか実際は170くらいってディスってるのがほとんどだから
馬場と比較したら猪木はチビでセカンドロープと同じくらい足が短くて実際は190くらいだから
猪木よりは強いってことになるね!
[匿名さん]
馬場は最強タッグで長州と対戦した時、小さすぎてみえなかった。池野めだか状態
[匿名さん]
足を上げただけで戦えるんだから
寝っ転がって 手足をバタバタしときゃ
相手レスラー 倒れこんだんじゃねえ?( ´艸`)
[匿名さん]
馬場さんが生きていたら
今頃コロナで 死んでいたかもな
[匿名さん]
馬場さんもし生きていたら明後日で83歳。昭和13年生まれの著名人もだいぶ亡くなったなぁ、先日も作詞家なかにし礼さんが亡くなり、また昭和が遠く感じた。今小林旭さんくらいかな元気に仕事をこなしているのは?
もし、馬場さんが生きていたらと思う。もちろん現役ではなく引退しているだろうが、令和の今プロレス界に何らかの足跡を遺していたと思う。
[匿名さん]
馬場さんの死は多くの人に影響を与えた。改めて存在の大きさを感じた。
[匿名さん]
ジャイアント馬場は強かったよ~
何しろ 台本通り動いていた だけだったからねえ~
日本テレビの構成作家と脚本家が 優秀だったからねえ~
毎週 放送予定の試合の会議をして 大変だったねえ~
[匿名さん]
馬場が 相手レスラーの肩を 1回叩いてローブに振るのは
16文キック出すから倒れてね もう試合終わりだからね
という合図
2回叩くときは 水平チョップ出すよ という合図
一回ブッチャーに間違って合図しちゃって
ブッチャーが 怒りまくって馬場をピンホールしたことがあったな
[匿名さん]
プロレスが八百長であるという真実を広めた功績は大きい。
[匿名さん]
あの力道山、フレッド・アトキンスの弟子だったんだから弱かろうはずがない。
[匿名さん]
強いか弱いかより馬場がガチで戦ったことなどない。なぜならプロレスだから全ては八百長。
[匿名さん]
余り知られて無いが 馬場はマイクタイソン グレイシーにガチで勝った。
[匿名さん]
馬場の考えたプロレス台本はマンネリしてつまらなかった
[匿名さん]
フレッド・アトキンスの友人だったザ・デストロイヤー談
「あのアトキンスのしごきに音をあげなかったのは馬場とシンだけだったと聞く。もっともシンは馬場の半分の期間だったようだが。ともかくあのハードさで有名なアトキンスのしごきに耐えた馬場が弱いわけがないだろう。まだ若かった馬場とロスで対戦した時、タフでスタミナ十分なアスリートだったんで驚いたよ。さすがアトキンスの弟子だってね(笑)」
[匿名さん]
若手時代、力道山のしごきはそれは筆舌しがたいものだったらしく、「今同じことをやったらお前なんか1日でいなくなる!」なんてよく馬場さんに言われていたことを思い出す。
しかし、アトキンスとのトレーニングはそのしごきに勝るとも劣らないものだったようだ。
初めてのアメリカ遠征からの帰国時、馬場さんの太ももの太さはは遠征前の時より一回り太くなっていた。
積雪の中、もも上げダッシュを何度もやらされたと実際馬場さんから聞いた。走ることに関してはプロ野球時代の練習でかなり経験あるが、あのダッシュには心底参ったと笑いながら話してくれた。
頑固親父と書いてフレッドアトキンスと読むなんてことも言ってたなぁ(笑)。どんなにハードな試合のスケジュールでもトレーニングを休むことは許さなかったらしい。
渕正信(談)
[匿名さん]