3月6日から2017WBCが開幕。
オープニングゲームとなった韓国対イスラエルは延長戦の末、2対1でイスラエルが韓国を下す番狂わせとなった。
1次ラウンドでキューバ、オーストラリア、中国と対戦する日本も、油断できない戦いが続くだろう。
過去のWBCを見てみると、経験豊富なベテランがチームを支えてきた。
今回はそんな選手たちを紹介してみよう。
(※球団名は当時の所属チーム)
■初の世界一の陰には宮本慎也の献身的な姿勢があった
2006WBC日本代表で、チーム最年長は当時35歳の宮本慎也(ヤクルト)だった。
2004年のアテネ五輪アジア予選、五輪本戦とキャプテンを務めた宮本だったが、当初はWBCの代表からは漏れていた。
しかし、井口資仁(ホワイトソックス)の代表辞退を受け、井口に代わり代表入りを果たす。
だが、セカンドは西岡剛(ロッテ)、ショートは川崎宗則(ソフトバンク)がレギュラーとして出場していたため、ベンチを温めることに。
それでも、アテネ五輪でチームを束ねた経験を生かしてまとめ役となり、試合のない練習日には打撃投手を務めるなど献身的な姿勢でチームを支える。
谷繁元信(中日)、和田一浩(西武)らとともにアテネ五輪を経験したベテラン勢でチームリーダーのイチローをサポートした。
この大会で宮本は3試合の出場に終わるも、決勝のキューバ戦では9回裏に、負傷した川崎に代わりショートに入る。
世界一の瞬間はグラウンドで迎えたのだ。
その後、宮本は2008年の北京五輪でもキャプテンを務め代表チームをけん引。
それからは代表に選出されず、2013年に現役を引退。
今後は国際大会の経験を生かし、指導者として侍ジャパン入りが大いに期待される。
■2009WBC、2013WBCと最年長だった稲葉篤紀
2009WBCと2013WBCでチーム最年長だったのは稲葉篤紀(日本ハム)。
北京五輪で主に5番打者として活躍した稲葉は、2009WBCでは原辰徳監督から4番打者に指名され、1次ラウンドでは主軸を担った。
アメリカに舞台を移した2次ラウンドでは代打での出場が多かったが、準決勝のアメリカ戦では4番に復帰。
途中出場した決勝では8回に二塁打を放ち、直後の岩村明憲の犠飛を呼び込む。
10回にはイチローの決勝打につながる犠打を決めた。
40歳で迎えた2013WBCでは主にファーストでスタメン出場。
2次ラウンドでは、劇的な勝利を収めた台湾戦で猛打賞。
続くオランダ戦では本塁打と活躍した。
2014年の現役引退後は侍ジャパントップチームの打撃コーチを務め、今回のWBCは現役時代も含め3大会連続での出場となる。
■日本の危機を救った井端弘和
まだ記憶に新しい2013WBCで躍動したのが当時37歳の井端弘和(中日)だった。
2007年の北京五輪アジア予選以来の代表選出となった井端は、1次ラウンドから持ち前の勝負強さを発揮する。
初戦のブラジル戦は7回まで2対3とブラジルがリードする展開に。
「まさか初戦で敗れるのか…」という暗い空気が漂い始めた8回表、1死二塁の場面で代打・井端が打席に入る。
カウント1-0から得意の右打ちで打球はライト前へ。
貴重な同点打となり、日本はこの回3点を挙げ5対3で逆転勝利を収めた。
さらに2次ラウンドの台湾戦。
2対3とリードされたまま9回表を迎え、2死一塁と絶体絶命の状況で井端に打席が回る。
その初球に一塁走者・鳥谷敬(阪神)が決死の盗塁を決める。
東京ドームが一気に盛り上がるなか、井端はカウント2-2から低めのストレートをセンター前に弾き返し、鳥谷が二塁からホームに生還。
敗戦濃厚のムードから一転、試合を振り出しに戻した。
試合はその後、延長10回に中田翔が勝ち越しの犠飛を放ち4対3で勝利する。
井端はこの大会でチームトップの打率.556と際立った成績を残し、大会ベストナイン(DH部門)を受賞した。
今大会、侍ジャパンの最年長は35歳の青木宣親(アストロズ)。
次いで34歳の内川聖一(ソフトバンク)となる。
ともに世界一を経験しているだけに、ベテランならではの活躍が期待されている。
【日時】2017年03月09日(木) 17:05
【提供】デイリーニュースオンライン