ある高野連関係者は「申請には9人以上の部員がそろっていることが条件」との認識を示し、「1人部員」で承認される可能性は低い。少子化に伴う野球人口や加盟校減少を受けて「9人必須」の条件が今後緩和される可能性はあっても、公式戦参加については来春以降の入部希望者数にも左右される状況だ。加えて技術指導する監督もまだいない。
春夏の甲子園大会に計37度出場し、プロ野球選手も数多く輩出した名門中の名門。13年に部内暴力が発覚してからは野球経験のない監督が就任するなど混迷の一途をたどっても、高校野球ファンの記憶の中では生き続ける存在だ。
今年1月には野球部のOB総会が3年ぶりに開催され、桑田真澄会長が「全く前進がない。何とか復活してもらいたいというのがわれわれの思い。粘り強くサポートしたい」と願っていた。「PL」への憧れを持つ1人の高校生の熱意によって開かれた扉。くしくも、6日には夏の甲子園大会が開幕。“永遠(とわ)の学園”の校歌が再び聖地で響く日は訪れるか。
▽PL学園硬式野球部 1956年4月創部。62年選抜に甲子園初出場して8強入り。78年夏に初優勝を飾った。81、82年選抜を連覇し桑田真澄、清原和博が在籍した83年夏からは5季連続で甲子園に出場し2度の優勝、2度の準優勝と黄金時代を築いた。87年には立浪和義らの活躍で史上4校目の春夏連覇。98年夏の準々決勝では横浜と延長17回に及ぶ名勝負を繰り広げた。甲子園春夏通算で37度出場し歴代3位の96勝(30敗)、優勝7回(春3、夏4)を誇る。
(スポニチアネックス)
[匿名さん]
生徒が全く入学しないみたいなので、野球部復活よりも学校存続の危機になってる。
[匿名さん]
高校野球全国 > 皆様、真面目にお願い致します。
#86 2023/08/31 07:12
>>80
エンジョイベースボールをモットーにした(?)新生PL学園
が、全国制覇する時が再び来るかもしれない。
#87 2023/08/31 07:40
それだよそれ、勝利至上主義で規律の厳しい大阪桐蔭とは正反対の野球をやってくれる、スポーツをエンジョイするチームとして生まれ変わってくれるといいですねw
慶応高校、東北高校に次いでPL学園もエンジョイベースボールの方針を打ち出して欲しいww
[匿名さん]
朝日新聞デジタル
楽しい野球で互角の戦い 津田学園監督「成長感じた」
村井隼人 広部憲太郎2019年3月25日 14時15分
大会3日目の25日、津田学園(三重)は、近畿王者の龍谷大平安(京都)に挑んだ。延長十一回、0―2で敗れたが、全国屈指の伝統校と互角に渡り合った原動力に、佐川竜朗(たつお)監督(40)による自主性を重んじる指導があった。
「負けた後のあいさつでもだらだらせず、最後まできっちりしていた。成長を感じました」。佐川監督は敗戦後、選手たちをたたえた。
監督は1996年夏、PL学園(大阪)の選手として甲子園に出場。卒業後は明治大学で主将を務め、社会人の名門日本通運でもプレーした。「大学時代、みんなが休んでいる時、夜中にバットを振っていた。それが力になった」と話す。
2006年、社会科教諭として津田学園に赴任し、08年4月、野球部コーチから監督になった。17年、夏の甲子園初出場に導き、1勝を挙げた。
球歴は華やかだが、厳しい練習環境に身を置いたからこそ、野球に嫌気が差した時期もあった。「野球の楽しさを感じてほしい」というのが指導理念だ。
昨秋、打撃フォームに悩んでいた藤井久大(ひさひろ)選手(3年)にもあえて口出しせずに見守った。藤井選手が悩んだ末、振り子打法を採り入れると、佐川監督は一緒に打席に入ってアドバイスし、フォームを固めていった。藤井選手は昨秋の東海大会で本塁打を放つなど成長し、選抜出場を決めたチームの中心となった。
[匿名さん]
放課後の練習は校則で日が暮れる頃まで。強豪校の中では練習時間は短い。時間が限られる分、伸ばせるところを集中的に鍛える。
メンバー外の部員は別の場所で練習させる強豪校もあるが、津田学園では全部員が同じグラウンドで練習する。選抜でベンチ入りできなかった部員にも「春季大会は背番号を取ろうや」とはっぱをかけて目配りする。
母校PL学園は春夏7度の優勝を果たしながら、部内暴力をきっかけに揺れ、休部となった。佐川監督は自宅の居間で、寮生に和気あいあいと夕食を取らせるなど、リラックスできる雰囲気づくりを心がける。「部員たちは兄弟。兄貴は弟をいじめたらあかんし、弟も兄貴をなめたらあかん。家族みたいなチームになろうや」と呼びかける。
龍谷大平安戦、打者は投手寄りに立ち、早いカウントから積極的に打った。強打を誇る選手たちを信じ、「粘り強さより、どんどんいけいけという野球を目指している」。津田学園のエース前佑囲斗(まえゆいと)投手(3年)より、相手エースの球数は少なかったが、「それでいい」と選手に伝え、積極性は崩さなかった。この日、3安打と気を吐いた小林世直(せな)選手(2年)は「強気でいこうと甘いボールを狙った。甲子園で結果が出て良かった」と自信を深めた。
「選手に任すのは怖い面もあるけど、勇気を持たないとだめ。任せて失敗しても、そこから学ぶこともある」。監督としての甲子園2勝目はならなかったが、自主性を磨いた選手たちは、春の聖地で大きな自信をつけた。(村井隼人、広部憲太郎)
[匿名さん]
◇岩田徹氏(三菱自動車水島-元・阪神)は
高校時代から闘志あふれるプレーヤー。
それが裏目に出てしまったのだろうか?
この方の現役時代はまだ体罰が
当たり前のスパルタ時代だったというし。
◇PL学園野球部も技術以前の教育面から
手掛けて、焦らずコツコツと進めていってください。
大阪球界がさらに面白くなります。大阪桐蔭、
履正社、金光大阪、近大附、大体大浪商、大産大付・・
やがて復活することを心待ちにしております。
[匿名さん]
全校生徒が100人に満たない学校の野球部をなぜ復活させる必要があるのか不思議でなりません。毎年受験生もほとんどいません。パーフェクトリバティ教団は既に何年も前から小学校、中学校、高校の運営からは撤退し、幼稚園、衛生看護学校、教団の運営だけに絞ることは理事会で決定済みです。
それをしなければ銀行からの融資も受けられないようです。
昔からPL学園野球部は嫌いでした。自分のことも自分でやらず出来ず後輩の付人にやらせる自立できない腐った勘違い人間の集団でした。厳しい寮生活⁈ 真の厳しいと規律ある寮生活とは次元が違いますよ。いまだに歴代OBらがYouTubeやらで当時の寮生活のあれこれを言いながら自慢気に話してるのを観ると情けなくなります。いちいち言わなくていいです、自分の心の中だけにしまっておくべきですね。PLなんかより厳しい寮生活の学校は他にいくらでもありましたから。
廃部したものは復活させる必要はない!!
[匿名さん]
PL学園
大阪府富田林市にある学校法人:PL学園(ピーエルがくえん)です。
[匿名さん]
PL学園校歌
作詞:湯浅竜起
作曲:東信太郎
燃ゆる希望に いのち生き
高き理想を 胸に抱く
若人のゆめ 羽曳野の
聖丘清く 育みて
PL学園 永久に
向上の道 進むなり
ああ PL PL
永遠の学園 永遠の学園
[匿名さん]
PL教団が「跡目争い」で迷走、崩壊寸前に…すべての権力を握る「教主代行の女性」の正体
PL教団は、戦前に立教された「ひとのみち教団」を前身とし、御嶽教徳光大教会を設立した金田徳光に師事した御木徳一が初代教祖とされる。
徳一の長男、徳近が教団を引き継ぐも、戦前には教育勅語への解釈の違いから不敬罪に問われ、当局から弾圧を受けた。徳近の奮闘でPL教団が設立されるのは、戦後直後の'46年のこと。以来、徳近は「人生は芸術である」と唱えて信者を集め、教団を拡大した。
古参信者の多くは、PL教団を創設し、隆盛を築いた徳近を「二代さま」と呼んで厚く信仰した。それは'83年に徳近が亡くなり、その後継となった「三代さま」こと御木貴日止が教祖となってからも変わらなかった。
徳近夫婦に子はなく、貴日止は二代教祖の妻の甥にあたる。徳近夫妻の養子に入った貴日止は、中学時代に難関の国家資格「第二種情報処理技術者試験」に最年少で合格した英才で、東京大学理科一類に合格した。
「甲子園にも応援に出かけ、アルプススタンドの名物となったPL学園の応援人文字はコンピューターを使って三代さまが考案した」(古参信者)という。
その貴日止が教祖に就いた翌年の'84年、美智代氏と結婚するにあたり、騒動が持ち上がった。
教団の関係者が言う。
「周囲の反対を振り切っての『極秘結婚』でした。教祖の結婚は教団の機関紙『芸生新聞』でも報じられることはなく、信者にまったく知らされなかった。背景には、徳近さん夫婦や当時の幹部たちの反対があった」
教団幹部や親族は否定的だった極秘結婚生活。貴日止が倒れ、美智代氏が教団の指導者のように振る舞うようになり、教団の状況は変わっていった。『教祖不在の「PL教団」で激しさを増す「跡目争い」のゆくえ…巨大宗教団体が逃れられない「代替わり」の難しさ』でも後述している。
11/4(土) 6:04配信
「週刊現代」2023年11月4日号より
[匿名さん]
9年ぶりに新入部員が…PL学園「清原&桑田の夢よ再び!選手一人からの野球部復活」と甲子園への障壁
10/25(水) 8:00 FRIDAY
ckm********10/25(水) 9:01
復部はしても試合すら出来ない状態ではまだまだ道は遠いね。しっかりした指導陣を確立し、部員を集めない限りはポジティブな流れにはなかなか行かないだろうね。まして大阪桐蔭、履正社他、強豪が多士済々の大阪。生半可な覚悟ではままならない復活。周囲だって復活となれば当然甲子園を期待する。課せられたハードルは想像以上に高いと思う。
yab********10/25(水) 10:31
今1人で頑張っている生徒を否定するつもりはないが、地域校の部員不足のような状態から、コツコツ力をつけてという学校ではない。これだけのブランドがあり、かつては高校野球界の頂点に君臨した高校なので、体制を変えて、プロ野球出身者を招聘し、3年で桐蔭や履正社に並ぶくらいのレベルにしなければならない。
だからこそ、学校も困っているのではないでしょうか。
ijpk10/25(水) 8:51
単純に部員が増えても1回戦2回戦で負けるPLなんか見たくないし、入りたくもない。名の通った指導者、設備を準備して、優秀なスカウトが全国飛び回ってPL復活に向けてお願いしますと頭下げて優秀な20名ぐらいを集めないと復活は無理だわ
uhz********10/25(水) 9:15
高校は、教科担任制ですから、教師の配置や学校運営等、どうしてるのか不思議です。少数なのだから進学実績が凄ければ、見方も変わるんですがね。今や地元の住民からも不気味に思われてますよね…。
[匿名さん]
ruk********10/25(水) 9:15
野球部どうこうよりPL学園、PL教団そのものが存続の危機にある状態。施設も老朽化してボロボロだし復活とは程遠い。それでも夏の予選で他校との合同チームなどでPL学園のユニフォームが見る事が出来たなら胸熱かも
口から出まかせ10/26(木) 13:24
桑田真澄氏に監督してもらえれば一発で名門復活するっしょ!
しかも高校野球をはじめ、学生スポーツ界にはびこる悪しき習慣に一石投じることにもなる。
yuj********10/25(水) 19:15
この生徒が種を植えて、いつか花開く時、この生徒の頑張りがあったからこそと言われるといいですね。
h21********10/25(水) 10:09
あの個性ある応援と演奏がまた見たいなあ。アフリカンシンフォニーばっかの今、個性ある演奏が聴きたい。
tak********10/25(水) 8:58
今の時代の流れにあった未来に向けてのPL学園を期待します。
竹鶴八海10/25(水) 8:13
野球漫画の序盤みたいな展開。
zho********10/25(水) 16:19
PL教がお金欲しいんだろ?
けどこうやって復活するのは楽しみだ、桐蔭さんもブルブルだね!
[匿名さん]
PL学園硬式野球部は1970年代後半から1980年代後半迄夏大会前授業免除して朝から夜まで練習していました。
野球部専用寮の食事も豪華な肉食でした、国会でも野球専門学校にするべきだと言われました。
野球好きの教祖がスカウトで良い選手集めて中学校から転校させていました。
地区大会の負けが許され無い勝利が当たり前の応援席でしたから、エラーしたらボロカスに言われて選手交代でした。
[匿名さん]
PL学園野球部復活へ 巨人・桑田真澄2軍監督「計画が実行できるのは4代目の教主様が現れてから」
2024年1月6日 14時2分スポーツ報知
春夏7度甲子園で優勝し、16年夏限りで休部となっているPL学園硬式野球部のOB会懇親会が6日、大阪市内で開催され、会長の桑田真澄・巨人2軍監督や、中日の片岡篤史ヘッドコーチ、元ヤクルトの宮本慎也氏らが出席した。
会の冒頭、桑田会長が登壇し、野球部の復活について現状を説明。「昨日、PL本庁に行って参りまして、教団の理事長先生とお話をしてきました。PLの現状について週刊誌でも色々なうわさが流れていまして、心配事もあって色々な質問をさせてもらいました。理事長先生からは、教団としても学園としても復活を願っていると。そして、水面下でいろいろな計画をしています。その計画が実行できるのは4代目の教主(おしえおや)様が現れてからだというお話をいただきました。今後もPLの教団の皆さんと情報交換を継続しながら見守っていきたいと思っています」と、教主不在の間は事態が進まないと説明した。
PL学園硬式野球部は、昨年1月のOB会総会で桑田氏が「(復活へ)全く前進がない」としていたが、同8月に野球未経験者の1年生1人が入部。名門の7年ぶりの活動再開に注目が集まっていた。
[匿名さん]