仁志や木内マジック懐かしい!
取手二高はもっと懐かしい!
[匿名さん]
就任4年目で出場を果たしたのですか?
87年夏準決勝、完成度NO.1と言われたあの東亜学園(西東京)・
川島堅投手(広島ドラフト1位入団)を攻略した一番は見事でした。
謹んでご冥福をお祈りします。
[匿名さん]
蔦文也さんや木内幸男さんは指導者になってから初めて甲子園出場に辿り着くまでに20年以上かかり、それまでは敗けて敗けて敗け続けて苦労された。島田直也さんは監督になってわずか3ヶ月で自身監督として初の甲子園出場を決めた。時代が違うとはいえ学校のスカウト活動と木内さんの長年の尽力で毎年各地から質の高い選手が数多く入部してきてくれるから今の名門私立の監督は昔の監督のような苦労はないからメンバー選出や采配だけに集中できるから恵まれてると思う。いい結果が出れば積極的にスカウト活動をしなくてもいい選手が自ら入学入部を希望して来てくれるのも大きい。
[匿名さん]
木内さんみたいな指導者はもう出てこないだろうね。合格していた慶應義塾大学に進学せず、そのまま土浦一高卒業と同時にボランティア同然で母校野球部の指導をしてて、校長から教員免許取るように言われて渋々日体大に一旦入ったけど通学も講義に出るのが面倒で練習見られないからってすぐ退学した。実家が商売やってたから働かなくても生活はできて土浦一高野球部の後輩の指導だけをやってたけど実家の商売が傾いてからは奥さんはかなり苦労された。
取手第二高校に移ってからも安定した公務員ではないから生活はかなり苦労した。常総に移ってからは効率良く勝つ野球に徹底して練習中の声出しも、うるせえから疲れっから黙れ!とか試合中の攻撃に入る前の円陣も、意味ねえからやんな、とか言って変わった人だなと私自身もよく思った。
[匿名さん]
木内監督の取手、常総の勝ち星を除くと‥
選抜初勝利も昭和40年代後半と超遅かったし前記二校が際立ち過ぎて他の高校の勝利や上位が関東一都六県の中で少ない。
ここが茨城県の課題。
[匿名さん]