大阪から阪神電車で約10分。尼崎駅周辺の雑踏から少し離れた川沿いに、ABCバッティングセンターはある。
「うちには昔っから、野球好きな子が集まるんですわ」同センターを管理する森企業の取締役、森英明は笑う。
「伊良部秀輝(ロッテ)はおとなしい子やった。的場寛壱(阪神)もよう来た。けど、毎日のように顔を出したのは、やっぱ、あの子やな」今年、ドラフト1位で横浜に入団した田中一徳である。兵庫県尼崎市で生まれ育った田中は、金楽寺小学校1年から軟式野球を始めた。
小学校時代に、ホームランを打たれた福沢卓宏(中日)は「抜け出た存在やった。こういう奴がプロへ行くんやろうなと思った」と語る。
6年の秋、田中は福沢に言った。「俺は『ひょうあま』に入る。中学から硬式をやった方がええ」二人は誘い合って、ボーイズリーグの「兵庫尼崎」に入団した。
6年後、田中、的場、福沢の同チームOBの三人が一挙にドラフト上位指名を受ける。
中学時代の伊良部もここで育った。
中学3年の夏、ボーイズリーグ日本選抜に選ばれた田中はアメリカで開かれた世界大会で首位打者になった。
残るメンバーは中学日本一を決める大会で優勝した。
PL学園へ進んだ田中は甲子園に三回出た。
昨夏は福沢(滝川二)ら4校に散った当時のメンバー七人も甲子園の土を踏んだ。
「『ひょうあま』で高いレベルの野球を教えてもらいました。野球人として土台を作ってもらったと思います」。身長165㌢ながら、1年目から1軍でプレーする田中は言う。
[匿名さん]
「行ってきます」。ユニフォーム姿の竜也が勢いよく社宅の階段を下りた。「気をつけてな」。母ひとみが四階から声をかける。兵庫県尼崎市の工場郡を背に、竜也の自転車は加速する。「1時間はかかります。まあ、いいトレーニングですね」母は屈託なく笑った。まっすぐ下校し、10分後には出かける。帰宅するのは午後9時近い。
父は大阪の強豪・北陽高OB。
「練習場は遠いけど、軟式で知っている上手な先輩が入ったから」と竜也。竜也が憧れた先輩たちも、田中一徳らの後を追い、兵庫尼崎に入った。
「甲子園出場」。竜也の夢は明確だ。春休み、夏休みは毎日のように、甲子園球場へ自転車を走らせる。
「二年前の横浜─明徳義塾がすごく印象的だった」。野球一色の生活で学習塾には通っていない。「兵庫尼崎が塾だと思っています」と母は言う。
幼いころから、父の母校に憧れた。6月になり、四国の強豪校が自分を見に来たことも知った。
竜也の自転車が猪名川公園に滑り込んだのは午後4時過ぎ。練習は始まっていた。内野ノック。竜也はショートを守る。一塁にひと際大きな選手がいる。
四番を打つ伊藤英二だ。「見に来た高校は、みんな欲しいと言うね」。兵庫尼崎の会長、村田寛二は自慢気に言った。ブルペンでは、他の投手より低い重音を響かせる。「夢? プロでバリバリやりたい。その前に甲子園。福留孝介の2本塁打は格好よかった。僕もあんなふうに打ちたい。高校は甲子園に出られるとこがいい」
6月3日、土曜日。村田は練習後に3年生の父母を集め、第1回進路説明会を開いた。
[匿名さん]
6月3日。ボーイズリーグ「兵庫尼崎」の会長、村田寛二は中学3年19人の父母を集めた。
第1回進路説明会。阪神電鉄・大物駅近くにある公民館で、村田は静かに話し始めた。
「すでに私のところにはいくつもの高校から勧誘が来てます。その子の力量や指導者、環境との相性も考えなあかんでしょう」春から夏にかけ、村田は多忙を極める。
高校関係者の視察依頼も絶えない。進学先は関西とは限らない。
東北の私立校からは毎年「控え選手でもいいので」と電話が入る。
昨夏は、七人の出身者が北陽(大阪)、滝川二(兵庫)、智弁学園(奈良)、岡山理大付の四校から甲子園に出た。今春の卒業生は11人のうち10人が北陽、関西創価(大阪)市立尼崎(兵庫)、岡山理大付、尽誠学園(香川)、沖縄水産で野球を続けている。
以前、大阪の強豪校への進学を巡って、ちょっとした行き違いがあった。年内に推薦合格を決めるには中学校の卒業見込み証明書がいる。ところが、担任教諭が拒んだ。その子の授業態度に問題があるという理由だった。
「先生は、あの子の本当の姿をご存じない。打席に立った時の真剣な表情をどうか見てやって下さい」。村田は学校に出向いて担任教諭に直談判した。
村田の誘いに、教諭は子供のプレー姿を見に来た。そして数日後、証明書を出してくれた。この教諭は高校進学後も教え子の応援に駆けつけたという。
村田は言う。「頭のええ子は勉強を頑張る。野球が好きな子はその特技を生かして高校に行く。ごく普通のことやと思います」
5月下旬、村田のもとに四国の名物監督から連絡が入った。
[匿名さん]
5月下旬、関西の中学硬式野球の試合や練習を見て回る日焼けした男がいた。
「兵庫尼崎」会長の村田寛二にも連絡があり、二人は尼崎市内で、初めてゆっくり顔を合わせた。「うちも頑張ってますんで、ひとつ、よろしく」と、男は言った。
5季連続で春、夏の甲子園に出場している高知・明徳義塾高の監督、馬渕史郎である。毎年、野球部の練習が休みになるテスト期間を利用して、関西へ出向く。
野球関係者や自校の選手から聞く情報をもとに数チームを回り、「うちも選択肢のひとつに入れてやって下さい」とお願いする。兵庫尼崎の選手を預かったことはないが、「ええチームです」と即答する。「昔から、野球の上手い子が出る土地なんよ。関西の高校が全国制覇した時には、尼崎の子が一人、二人はおるはずです」
昨夏の甲子園で準優勝した岡山理大付高の早川宣広監督は「レベルの高い地域で中学から硬式をやる子は、相対的に見て野球に対する意識が高い」と言う。
強豪と呼ばれる高校は、程度の差こそあれ少年野球チームと付き合いがある。有望な選手の獲得に当たり「スポーツ特待生」「◯◯大学への進学」といった特典をつける例もある。選手は進路を選択する際、まず夢(甲子園)の可能性を考える。監督の育成手腕や環境も決め手になるが、「親は出口(高校卒業後の進学、進路)も気にしますね」と村田。様々な要素を加味しながら、選手、家族の相談に乗る。
以前、レギュラーではなく、学校の成績も思わしくない選手がいた。村田はその子を、中心選手と抱き合わせて強豪校へ進学させた。「一生懸命やった子は、きちんとしてやりたいから」と村田は言う。
[匿名さん]