1000
2020/09/22 23:33
爆サイ.com 甲信越版

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NO.8567388

新潟 高校サッカー 29
新潟高校サッカー2020
注目選手
どんどん言い合っていい選手を見つけましょう!
報告閲覧数437レス数1000

#9512020/09/21 01:20
避難所使わないのが悪い

[匿名さん]

#9522020/09/21 07:44
不満があるならはっきりと意見述べよ。ここの住民は理解のある連中がいるから、汲み取ってやる余地はあるんだけどな。それが出来なくてただ面白がって荒らしてるんなら論外ですね。

[匿名さん]

#9532020/09/21 17:37
トレーニングマッチ

日本文理top 1-0 カターレ富山U18top

YouTube文理サッカー部チャンネルより

[匿名さん]

#9542020/09/21 20:38
単なるトレーニングマッチ棒だろww
あまり参考にならないよ!

あの王者富一がTRMで金沢ツエーゲンを軽く圧倒してたのに、
本戦では完敗してるからね!あの北信越プリンス最高峰の高校
王者富一がまさか負けるとは誰も思ってなかったのにーー
会場は異常な静けさだったとーー王者も木から落ちるww

帝京もツエーゲンには圧勝してるけどーーTRMではーー
本戦はどうだろうか?

[匿名さん]

#9552020/09/21 21:31
wwさん、超久しぶりじゃんwwwwwwww

[匿名さん]

#9562020/09/21 22:04
ネオタイガーショットがかっこいいよね。雷獣シュートも捨てがたいがね

[匿名さん]

#9572020/09/22 00:04
アルティマの静岡学園にはエスプリ長岡出身の子がいたな。

[匿名さん]

#9582020/09/22 06:03
>>957
エスプリの代表の息子さんだろ 一人であの環境に行くって偉いな

[匿名さん]

#9592020/09/22 06:06
>>932
プロになったカンテラーノ3人をチヤホヤするけど本当に凄かったのは田中と6番の位置に居た2年生の子。名前はド忘れした

[匿名さん]

#9602020/09/22 07:16
>>959
あほう 川○君は今年の主将やんか。忘れたらあかんで。今は一年生や二年生を仰山つこうとるのは将来のためになるんや。 そのうち酒○君も戻って来るさかい見とけや。

[匿名さん]

#9612020/09/22 08:52
アルビVS日本文理
1対6文理
今年初めて文理を見ましたが、攻撃陣が強烈でした。

[匿名さん]

#9622020/09/22 12:13
>>961
文理はtopチームはN1ではなく、完全に別路線で強い相手を求めて試合してるみたいだな。まぁアルビはテストマッチでは聞いたこともない無名校にも簡単に負けることもあるから額面には評価はできないけど。話は変わるけど、アルビは長岡の下部組織の募集を停止して今の一年生で解散するとは。コロナ禍などで経営が苦しいのは理解できるけど、子供たちの普及、育成は別物と考えられないとは。寂しい限りだな。委託するとか提携結ぶとか、最悪譲渡してでも存続させる意思はなかったのか?こんなことしてると中越、上越地区でのアルビの求心力の低下は間逃れないな。もっとも中越地区は長岡JYと帝京長岡。上越もこれから上越が頭角を現すだろう。これらには独自の勢力圏を磐石にしてほしい。

[匿名さん]

#9632020/09/22 15:37
文理はトップチームは相変わらず肉体派サッカーだけど一年生チームはテクニカルで洗練されてますよ。

[匿名さん]

#9642020/09/22 16:05
>>963
そんなことないよ。伝統のイングランド肉弾スタイル継承。
とにかく相手を潰して蹴り出しカウンターで得点の北欧サッカーの王道を基本とする。

[匿名さん]

#9652020/09/22 16:28
文理は難しい事はせずになるべく簡単に前へボールを運び前線のドリブラー2.3人がゴールを決めるって言うイメージある。 初優勝した代の影響もあるからなのかな…

[匿名さん]

#9662020/09/22 16:43
>>964
見てないんだな。いろんな所へ足を運びな!
高校サッカーは日々成長してるから。4強プラスJSCは楽しみだよ。
文理はフィジカルのスタイルはもちろん、そこに足元も加え、溜め、ワンツー、サイド、素早い速攻など攻撃は昨年とはまるで別だよ。
しかしアルビ、、ボコられたな。

[匿名さん]

#9672020/09/22 16:43
>>962
長岡のほうもやっと軌道に乗ってきた矢先なのにもったいないです。他県のJクラブのJr.ユースは複数持っているのが当たり前なのにアルビは何を考えているのでしょうかね?

[匿名さん]

#9682020/09/22 16:55
>>967
金がないのよ。金が……。
トップを残すためにはね。

中途半端なバスケや野球など、グループ企業全体の見直し必要だろ。

[匿名さん]

#9692020/09/22 17:14
文理は新潟サッカー史上最高の逸材と言われたファンタジスタ久住二世が出ないと厳しいよ。
ちょこまかちょこまかパス回してても個も圧倒的な力がなければな!

天才久住君は今どこで何を思うんだろう?

[匿名さん]

#9702020/09/22 17:26
>>969
Y君がいるでしょ。彼は元々この世代の新潟県を代表する選手ですよ。二年間怪我で棒に振った悔しさをこの大会にぶつけると思います。彼の盟友とも言えるN君もいるし、あとはなんと言っても2年生のピーターの弟さんの、D君です。まだ素材系だけど、兄のピーターも素人同然から代表、プロまで上り詰めました。アフリカンのポテンシャルは日本人の常識を越えてることを忘れないで。

[匿名さん]

#9712020/09/22 18:14
>>970
そのアフリカン今何してんの?プロで撮った方もだけどさ
デカくて外人アフリカンで有れば飛びつくのか?

僕は見てて危うい選手じゃねえ?との感想でとてもとても……
久住君のあの衝撃を超えられる選手はそういないのでは?

昨年の選手権、山田戦のY君のペナ侵入のあの壮絶テクには仰天したけど…
アイデア、ボールコントロール、ボディバランス全てが上級レベルでこの子はプロへ進むんじゃないか?と思ってみてたら後でプロ入団を聞いて確かになーと僕自身の眼力もさすがと思った。

[匿名さん]

#9722020/09/22 18:21
>>971
彼は去年大ケガして復帰を待ってます。久住くんは大学辞めたんですか?去年大学選抜に選ばれたまでは知っているんですが、その後の消息がわかりませんよ?拓大の選手名簿にも載っていません。知っていてそんなこと言ってるのですか?

[匿名さん]

#9732020/09/22 18:28
>>971
文面の前半部分はまぁどうでもいいけど、後半部分はでたらめだらけだなw

[匿名さん]

#9742020/09/22 18:32
谷内田くんは帝京在学中にとっくにプロ入りしてましたよ。

[匿名さん]

#9752020/09/22 18:34
>>972
大学辞めた?スペインへ行ってるとかじゃないのか?

[匿名さん]

#9762020/09/22 18:44
>>973
谷内田くんと田中くんを間違ってませんか?この人が言いたいのは前半の終わり間際の谷内田くんのプレーではないでしょうか?

[匿名さん]

#9772020/09/22 18:49
違うよ!後半勝負どころでのY君のあの足裏プレー
GK前に詰めていたS君がもう少し………冷静に……
山田DFも必死で体を張った守備で同点機を逃してしまったのがーーー

[匿名さん]

#9782020/09/22 19:07
おまいら話題が帝京と文理に片寄りすぎ

って言うか、俺はマジで本命は北越とにらんだ

理由はな、今年に関すればフィールドプレーに関すればスタイルや好みの差でしかないよ。ポイントはキーパーさ!

一発勝負のトーナメントはさ、キーパーの比重が大きいのさ!4つの中で一番キーパーが優れているのは北越だよ!

[匿名さん]

#9792020/09/22 19:27
>>977
やっぱり間違ってるわw 976がいってるようにそれは前半だな。

[匿名さん]

#9802020/09/22 20:38
>>978
北越のGKは昨年度のインターハイの優秀選手に選ばれてますね。幸運だったけど青森山田を倒したのも彼の活躍が大きかったのを記憶してます。あとはエースのAくんでしょうか。他にも何人かベスト8経験者が残ってますね。そうそう。二列目のKくんも大会優秀選手でした。

[匿名さん]

#9812020/09/22 21:15
北越か!遂に新潟最強世代の登場?
選手権前哨戦 プリンス 北越Vs帝長戦が楽しみ!

今年は鉄板富一がまさかのTOP通過出来ずとなってるから(プリンスB)
北越も気を抜けないよな。タレント軍団帝長のワンタッチパスワークを崩せるか?

[匿名さん]

#9822020/09/22 22:00
長岡JYと言えば帝京長岡なのであるけど、今年はその遺伝子は明訓に受け継がれた。新監督はどう彼らを操るのかな?抜群のスピードを誇る2年生エースのN君の爆発がカギを握るな?

[匿名さん]

#9832020/09/22 22:05
>>982
そうそう、あの代はゴタゴタがあり明訓へ行ったんだよな〜

[匿名さん]

#9842020/09/22 22:25
新監督は前任監督よりもアグレッシブな戦いかたを好むようだから長岡JY組の持ち味も生きるんじゃないのかな?よくみると3年と2年は地味にいいメンバー揃えてるよな?県内だけの知名度だけならナンバーワンかもしれない。ただ、新一年生の補強はお世辞にも成功したとは言えないんじゃないか?来年以降はラウズ組が骨格を形成するんだろうけど?

[匿名さん]

#9852020/09/22 22:30
この原因はライバルチームがルーキーリーグに参加してたり、サードチーム以降も活動していて経験を積ませているのに対して明訓はsecondまでしかチームを編成してないのも原因ではないかな?

[匿名さん]

#986
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#987
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#988
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#9892020/09/22 23:26
大川 学(おおかわ まなぶ)
声 - 鈴木れい子 / 大谷育江 / 長沢美樹 / 佐藤利奈
所属:南葛小サッカー部 - 南葛SC応援団 - 南葛中 - 南葛高校 - 帝都体育大
ポジション:DF 誕生日:3月2日 血液型:A型
南葛市出身。大きな眼鏡がトレードマーク。南葛小、中学校で翼、石崎らとプレイした。中学生時代は控え選手よりも記録員・マネージャーとしての存在が目立った。ただ、翼が試合中に怪我を悪化させた際、翼と交代出場するかというシーンもあった。
【ROAD TO 2002】日暮里体育大学の教授の助手をしている。代表ではない南葛中部員だった長野・岩見・小田・中里らと「Team Tsubasa」を結成し、それぞれがトレーナー、整体師、マッサージ師などの資格を取得し、翼のトレーニングのサポートなどを行っている。
【ライジングサン】オリンピック本線直前の練習で倒れた翼の元に、妊娠中の早苗の代わりにTeam Tsubasa全員で駆けつけた。
なお、連載初期およびアニメ第1作では名前がマサルとなっている。
アニメ第1作の中学生編では選手としてベンチ入りせず、応援団の衣装を着てマネージャー陣と共にスタンドから声援を送っていた。

[匿名さん]

#990
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#9912020/09/22 23:27
若林 源三(わかばやし げんぞう)は、高橋陽一の漫画『キャプテン翼』に登場する架空のサッカー選手。血液型はO型。
人物
プロフィール
静岡県南葛市出身。父は地元の名士(大手企業グループ社長で修哲小学校や修哲中学校等を運営する「学校法人修哲」の理事長も勤める)で裕福。兄が2人おり、ジョンという名の犬を飼っている。

ポジションはGK。国内のみならず世界でも屈指の実力を持ち、「天才キーパー」、後に「S.G.G.K(スーパーグレートゴールキーパー)[2]」「東洋の守護神」の異名をとる。大空翼の「最初のライバルであり、ワールドカップ優勝を誓い合った朋友」である。また、カール・ハインツ・シュナイダーとは「終生のライバル」関係にある。

「ペナルティエリア外からのシュートは必ず止める」「自分さえ抜かれなければチームが負ける事はない」ことが信条。試合ではアディダス[3]のキャップを被っていて、それがトレードマークになっており[4]、この帽子でゴールを守った事もある。堅実で鉄壁な守備を誇り、時にGKながらオーバーラップして果敢にゴールを狙う。また、統率力にも秀でていることから、その時々でキャプテンを担っている。

いつの時代でも最高レベルの実力を発揮するが、負傷他の事情により大会終盤まで出場機会が無い、または本来の実力でない場合が多い。背番号は小学生時代は「1」を着けていたが、それ以降は大会により「22」や「24」を背負う事もあった。

翼や岬太郎からは「若林君」、修哲小出身者からは「若林さん」「キャプテン」、それ以外は呼び捨て、見上辰夫と家族は「源三」、ドイツ人サポーターやヘルマン・カルツらからは「ゲンさん」と呼ばれている。

石崎了とは小学校時代からの腐れ縁とも言える状態で、成人してからも石崎を嘲る場面もあるが、「ドジも多いが、いざという時はやってくれる男」と評している。逆に、小学校時代には石崎から、飼い犬であるジョンに落書きをされ続けていた。また、石崎と西本がイチャついている所を咳払いし、焼餅を焼く場面もある。

[匿名さん]

#9922020/09/22 23:28
経歴
修哲小学校[5]サッカー部(S.F.C) - 南葛SC - 西ドイツ・ハンブルグ(平成版アニメではグリュンバルド)

小学生編
修哲小サッカー部で、全日本少年サッカー大会無失点優勝という快挙を、小学5年生で成し遂げた。元日本代表GKである見上辰夫の指導を受ける。中学生の運動部員がペナルティエリアの外から様々な球技のボールを放ってくるのを防ぎ、最後には野球のボールまでセービングする実力に達していた。これをきっかけに南葛市に転入して来たばかりの大空翼に、いきなり挑戦状(ボール)を叩き付けられる。対抗戦前の練習では2人の高校生が同時に放ったシュートを両方防いでいた。
当初は傲慢で自己中心的で、南葛小との対抗戦で翼にゴールを許すと、試合は同点にもかかわらず自らの負けとして出場を放棄するなど引き上げようとしたところ、見上に鉄拳制裁を受け、以後はチームメイトに詫びるなどして試合に出場し続け大きく成長した。
南葛SC発足後、チーム内で一番の信頼を得て初代キャプテンを務め、守備の要として活躍。ところが大会前の練習試合(平成版では県大会決勝の島田小戦)で相手選手と競り合い着地した際に左足に怪我を負う。チームメイトには怪我を隠し練習に参加していたが、練習に乱入してきた日向小次郎のシュートに反応せず、医者に通っていた場面を翼たちに目撃されるも静岡県予選に出場。準決勝の島田小戦を欠場し、決勝の志水FC戦で相手のラフプレイによって更に悪化したため、医者からは全国大会を諦めるよう勧告を受けたものの、若林自身は出場を諦めず出場を目指し自宅でリハビリを開始。準決勝の武蔵FC戦途中に会場に現れ、心臓病のハンデをものともしない三杉のプレイに戦意を失っていた翼を激励し、続く決勝戦の明和FC戦1試合のみではあったものの、試合に復帰し出場となった。試合では日向の強烈なシュートをセーブし続けた結果、後半から怪我が再発したが、再延長戦の最後までゴールを守り続け、自身2年連続の全国制覇を果たし、1試合の出場にも関わらず優秀選手に選出された。
大会後、若林のコーチを辞め研修のため西ドイツに渡る見上の誘いで、自身も西ドイツへ渡ることを決意。離日前には翼と1対1の勝負をし、これを制した。

[匿名さん]

#9932020/09/22 23:28
渡独後
小学校卒業後に見上と渡独し[6]、ハンブルグに入団。ドイツ語習得に励みながら一緒に2年間暮らし、その後1年間ホームステイを経て選手寮に移る。渡独当初はチームメイトから人種差別を受ける[7]も、持ち前の負けん気と才能で練習に励み、カール・ハインツ・シュナイダーやヘルマン・カルツと共にチームの要に成長。ハンブルグは西ドイツとヨーロッパNo1のジュニアユースチームになっていた。
翼たちが中学3年生の頃には、父と共にフランスに渡っていた岬太郎とドイツで再会し、そのことをエアメールで翼に報告した。
ジュニアユース編
ハンブルグの正GKとしてヨーロッパに遠征してきた全日本と対戦。日向のタイガーショットを含む全日本のシュートをことごとくキャッチした。シュナイダーのラフプレイに怒る日向に「サッカーは格闘技のはず」と挑発し、終了間際にペナルティーエリア内に侵入しシュートを放った日向にわざとゴールを許すと、勝負から逃げたと挑発(試合後には見上に本心を漏らし「日向は成長しましたね、チームの為に1点でも獲ると・・・本音では嬉しかった」と嘗てのワンマンだった修哲小時代の自分と重ねて視ていた)。その事が原因で日向と乱闘騒ぎになったが、これは全日本に奮起を促すために必要以上の挑発や罵声を浴びせるなどの悪役を、事前に見上から頼まれての行動であった。その後、ブレーメン戦からは全日本に合流し、実力者の翼が選考合宿に参加していないという理由で試合出場が認められないことに異論を唱えたり、練習中からチームメイトに厳しい言葉をかけたりと、全日本鼓舞の為に終始嫌われ役に徹する。国際ジュニアユース大会にも選手登録はされたものの出場する気はなかったが[8]、準決勝のフランス戦で若島津健が右手を負傷し、決勝の西ドイツ戦に出場不可能になったため、見上監督から先発起用を告げられ出場に躊躇する。

[匿名さん]

#9942020/09/22 23:29
しかし森崎有三の説得、若林と翼の会話を立ち聞きし、若林の意図に気づいていた日向が真意を明かしたことで、チーム全員の後押しを受け出場。2失点を喫するが試合終了までゴールを守り抜き、優勝に貢献した。ペナルティエリア外からのシュナイダーのファイヤーショットを練習時には2分の1の確率で決められていたが、決勝では1本も決めさせず、普段以上の力を本番で発揮する能力を「一流の証」とシュナイダーに評された。大会終了後にハンブルクとプロ契約を結び、対バイエルン戦でわずか15歳にしてプロデビューを果たす。
ワールドユース編
ドイツサッカー協会が帰化を勧めるほどの実力を持っていたが、プロ契約時に自身が提示した条件通り日本人としてプレイを続けていた。怪我で欠場したデューター・ミューラーの代理で、特別にドイツ代表として出場したオランダ戦でブライアン・クライフォートに右手、ブンデスリーガの1.FCケルン戦でステファン・レヴィンに左手を破壊され、治療に専念していた。しかし若島津の離脱や主力選手の追放等の事情を受けて帰国、ワールドユースアジア一次予選のタイ戦では途中から出場し、キャッチが不能ながらもテーピングした拳のパンチングのみでゴールを守り抜いた。しかし、アジア二次予選の中国戦で肖俊光の「反動蹴速迅砲」を捨て身で防いだものの、再び右手を負傷し離脱する。本戦決勝トーナメントのスウェーデン戦から復帰、スウェーデンとオランダを完封し、ワールドユース優勝に貢献した。なお、決勝戦で再び両手を負傷し、そのためブンデスリーガの1シーズンを棒に振ってしまい、チームの低迷を招いた。また、公式試合にて2度もペナルティエリア外からゴールを許してしまうものの、負傷していたことを考慮してか、それ以降の作品では「絶好調の若林からペナルティエリア外からのゴールを奪えた者はいなかった」という事になった。

[匿名さん]

#9952020/09/22 23:30
ROAD TO 2002
シュナイダーからFCバイエルン・ミュンヘンへの移籍を促されるが拒否、対決して勝利することを宣言。B・ミュンヘン戦前半早々にトップスピンパスでカルツの先制点をアシストするが終盤、勝ちに拘った若林はゼーマンの戦術に反してオーバーラップし、フリーキックでゴールを狙ったが、逆にゴールを空にしてしまったため、シュナイダーにセンターサークル付近からトップスピンシュートでゴールを許してしまう。この事が元で監督とは不仲になってしまい、数試合出場後は外国人枠の問題もあり試合を干されてしまう。盟友であるヘルマン・カルツからのハンブルガーを捨てたシュナイダーへの悔し涙もあって触発された部分もある(カルツはシュナイダーへの暴行からのトラブルにより退場している)。後にバイエルンに移籍する様な流れを匂わせていたまま、連載終了。
GOLDEN-23
ハンブルクで「3試合連続出番無し」という状況にあり、これはゼーマンとの不仲が原因だと言われている。その後、多数の獲得オファーが来たのでシーズン途中で移籍を希望するも、チーム側が断念させる代わりにU-23日本代表への合流を許可する。吉良耕三に呼び出され、背番号24を付け、代表に復帰する。また、移籍問題も浮上し、シュナイダーも心から若林のB・ミュンヘン入りを望んでいる。2000年にシドニーオリンピック応援用に描かれた読み切りで「今期よりB・ミュンヘンに移籍」と描かれていた。
劇場版
『キャプテン翼 危うし!全日本Jr.』
全日本選抜として試合に出るべく日本に帰国するも、プロクラブ所属の資格問題により出場許可が下りずにいたが、後半で許可が下りて出場。シュナイダーの新必殺技で一度はゴールを許すも、二度目は見事にセーブした。

[匿名さん]

#9962020/09/22 23:30
戦歴
小学5年生(修哲小サッカー部)
町の対抗戦(南葛小サッカー部に勝利)
全日本少年サッカー大会優勝、大会MVP受賞
小学6年生(修哲小サッカー部・南葛SC)
町の対抗戦(南葛小サッカー部と引き分け)
全日本少年サッカー大会優勝
ヨーロッパ遠征でのヨーロッパ少年サッカー大会優勝(テレビ昭和版)
ヨーロッパ遠征での親善試合でヨーロッパ選抜チームに勝利(劇場版)
14歳-15歳
ハンブルグジュニアユースで西ドイツ&ヨーロッパのNo.1を獲得
国際ジュニアユース大会優勝
18歳-19歳
ワールドユース選手権大会優勝
得意技
原作に登場する技
三角跳び
若島津の技。対西ドイツ戦にて、シュナイダーのノーマークからのファイヤーショットを防ぐために使用した。その際シュートが低い弾道だったために届かなかったが、更にゴールバーを蹴って届かせている。劇場版『ヨーロッパ大決戦』でも三角跳びでシュナイダーの弾丸シュートを防いだ。
ストレートディフェンス、アッパーディフェンス
かつて腕を破壊されたレヴィンのレヴィンシュートを防ぐための技。ボールを正面からではなく真横や真下からパンチングすることで、腕を破壊されずにセービングを可能とした。腕のリハビリのために始めたボクシングからヒントを得た。
【ROAD TO 2002】以降はベーゴマをつかむ要領でレヴィンシュートを弾くことなくキャッチできるようになったため、披露されていない。
トップスピンパス
【ROAD TO 2002】にてルール改正によりGKが何歩でも歩けるようになったこととゴールキックはオフサイドにならないというルールを利用し、トップスピンで前線の選手にピンポイントでパスを送る。

[匿名さん]

#9972020/09/22 23:31
ゲームに登場する技
コナミ版
S・G・G・K
自身の異名。スーパーセーブを見せる。
KLab版
SGGKキャッチ
SGGKパンチ
SGGKセーブ
ファイナルSGGKキャッチ
スーパー・グレート・ファインセーブ
パーフェクトディフェンス
担当声優
橋本晃一[10] - 昭和版
三木眞一郎 - 『J』
鈴村健一 - 平成版、2018年リメイク版[11]
脚注
^ 静岡県・静岡市または富士市に相当する。
^ ハンブルグジュニアユース時には「G.S.G.K(グレートスーパーゴールキーパー)」とも呼ばれていた。テクモ版でもそのように表示されていた。
^ 渡欧後はアドミラルに変えたこともある。初登場時・昭和アニメ版では南葛SC結成前から南葛SCの「N」ロゴ、J版では無地だった。
^ 週刊少年ジャンプに連載されていた1980年代には、若林源三を真似て、アディダスの帽子を日常的に被る少年が続出した。アメトーークDVD20巻「キャプテン翼芸人」にて。
^ 修徳中学校・高等学校をモデルにしている。
^ 全日本少年サッカー大会終了後の夏休み期間中に見上と渡独した説もある。
^ 練習後に自主練習をしていたところ、チームメイトから集団リンチを受けるが、翌日朝の練習開始までの時間に1人ずつのところを狙い、ボコボコにして復讐を果たしておとなしくさせ、最後の1人は監督や他のチームメイト達の目の前で、練習グラウンドでボコボコにして復讐を果たした。
^ 自分が試合に出たらチームワークがばらばらになることを計算したことから
^ イベントでゴールを決められると「くそっ!なんで若島津に止められて俺には止められないんだ」というセリフが発生する。また、昭和版のアニメではイングランド少年選抜との試合で2点許したことをそれと同様に苦悩した。
^ 37話までは三橋洋一の名義。
^ “スタッフ・キャスト”. キャプテン翼 テレビ東京アニメ公式. テレビ東京. 2017年12月13日閲覧。
関連項目
若林正恭 - トヨタ「エコカー減税・補助金」のCMで川澄奈穂美と共演し、名字が同じ事から若林源三をモチーフにした「若林ゲンゼイ(減税)」としてGK役を演じた。

[匿名さん]

#9982020/09/22 23:31
南葛SC(南葛市選抜チーム)では当初は若林源三がキャプテンだったが、若林の足の故障により一時的離脱したため、翼がキャプテンを引き継いだ。この時点では翼は全国的に無名選手であったのに対して、若林源三は既に知名度があり、若林の偵察に来た日向小次郎も翼のことは知らなかった[4]。全国大会では予選リーグの明和に敗れたが、決勝トーナメントに進出する。準決勝の三杉淳が率いる武蔵戦では、翼が三杉の心臓病を知り、三杉を庇うような形で実力を出す事が出来ずにいたが、若林や岬やロベルトからのゲキ、さらに三杉から翼に対する思いを聞いて、スランプから脱出後、逆転勝ちを収める。決勝では明和と再戦し、若島津との空中戦で左足を負傷しながらも激闘の末勝利、南葛を優勝に導いた。自身の記録としては得点王とMVPを受賞した。ロベルトから「全国大会で優勝したらブラジルに連れて行きサッカーを教える」と約束されており、本人もそれを目標に全力で戦い続けていたが、優勝が決まったタイミングでロベルトは翼との約束を破り一人ブラジルへ帰国してしまい[5]、翼は中学卒業まで日本でプレイを続けることになった。
中学生編
東京都の私立東邦学園中等部からスカウトを受けるもそれを断り、南葛市立南葛中学校に進学。卒業後にブラジルに行くことを見据えつつ[6]、日本サッカー協会の片桐の支援を受けながらサッカー部で活躍する。ロベルトの残したノートの助言に従いCFからトップ下に転向。1年時は1年生ながらチームの司令塔として活躍し、決勝では同じく1年生エースの日向小次郎のいる東邦学園を相手に決勝ゴールを挙げ優勝。南葛SCのメンバーがレギュラーになった2年時は決勝で東邦と再戦、チームプレイで若島津から決勝点を挙げV2達成。3年時は1回戦でオーバーヘッドを早田のジャンピングボレーで防がれた際に、左足の負傷を再発[7]させ、3回戦では空中のクロスプレイでもつれ落下した際[8]、頭から落ちそうだった立花和夫を庇い左肩を脱臼。満身創痍ながら[9]、大会中にドライブシュートを完成させ、決勝で東邦と同点引き分けの同時優勝で、全国大会3連覇を果たした。

[匿名さん]

#9992020/09/22 23:32
ジュニアユース編
大会で負ったケガの治療に専念し、ジュニアユース代表選考合宿に参加しなかった。そのため大会前の親善試合で遅れてヨーロッパに赴くも、日向と松山の反対で代表入りを許されなかった[10][11]。だが、連敗している日本が弱いという理由で練習試合を断ろうとしたイタリアジュニアユース相手に一人で殴り込みをかけ、ほとんどのイタリアの選手をドリブルで抜き去った後にドライブシュートで“ヨーロッパNo1ゴールキーパー”ジノ・ヘルナンデスからゴールを奪ったことで日向と松山は考えを改め、特例として晴れて全日本のメンバー入りを果たした。翼が参加してからの全日本は親善試合で連勝を重ね、キャプテンの座も松山から受け継いだ。ジュニアユース大会中、ロベルトが来ていると示唆され動揺する場面もあったが、そのプレッシャーをはねのけ、世界の強豪達との対決を制して優勝、MVPを受賞。ベンチに引き上げようとした時ついにロベルトが現れ、今度こそブラジルでサッカー教育を受けることが正式に決まった。
大会終了後、中沢早苗をめぐり同級生のボクサーである神田と決闘。神田のパンチを受け続けながらも、オーバーヘッドキックで肩を砕き骨折させた(我に返った後は神田を気遣い、和解した。後にも先にも翼が他人を怪我させたのはこれ一度きり)。その後は実業団の浜名クラブで練習を重ねていたが、片桐に促される形で全日本フル代表に殴り込みをかけ、監督の奥寺康彦にその心意気を買われ全日本フル代表入りを果たした。ブラジルのグレミオとの親善試合に途中出場し、ハットトリックを達成、引き分けに持ち込む活躍を見せた。そして卒業式に出席することなくロベルトの待つブラジルへと渡って行った。
ワールドユース編

[匿名さん]

#10002020/09/22 23:33最終レス
試合開始早々「スカイダイブシュート」を敢行しようとするがあっけなく破られ、ロベルトから「身勝手な味方を信頼しない一人よがりな技」だと批判を浴びている。
翼のいるエリアにボールを回さないブラジルの戦術に大苦戦を強いられたが、決して諦めることはなく、ケガをおした岬の途中出場もあって試合の流れを取り戻し、スカイダイブシュートを「チームメイトに自分の身体を押し込んでもらう」という「味方を信用する技」に昇華させた。日本がリードした終盤、ロベルトの真の切り札ナトゥレーザが交代出場しあっさり同点に追いつかれ、ゴールデンゴール方式の延長戦に突入。ナトゥレーザと一騎討ちを行い、これを制してVゴールを決めワールドユース優勝を果たした。
ワールドユース選手権終了後、早苗と結婚。当時は2人ともまだ19歳で、一般的には早すぎる結婚だと周囲に言われながらも、誰も2人の結婚に反対する者はいなかった。その後、早苗との間に2人の息子をもうける(2人の子供の設定は2010年時点では、短編作品『キャプテン翼2000 MILLENNIUM DREAM』のみ)。妻(早苗)を好きになった経緯は、はっきりと描かれている部分はない。呼び方は団長さん(小学校)→マネージャー(サッカー部)→早苗ちゃん(中3告白後)と変化している。結婚後も「早苗ちゃん」で通している[12]。
ROAD TO 2002
ブラジルのエース選手の慣例に従いヨーロッパへの移籍先を探す旅に、妻・早苗と共に出る。最終的に翼が選んだのはFCバルセロナである。このチームには世界に誇るトップ下プレイヤー・リバウールが在籍しており、翼が一騎討ちを挑んだが全く歯が立たなかった。移籍後しばらく、ファンサール監督の指示の下紅白戦で様々なポジションで動いていたが、ファンサールに「お前はどのポジションがやりたい?」と尋ねられたため「トップ下です」と回答。その後のファンサールの選択は「翼をBチーム(2部チーム)に送る」というものだった。これには日本のメディア、岬や日向をはじめとした仲間達、そして翼本人も大きなショックを隠し切れなかったが、チームドクターのメンデスの説得も受けてBチームで戦うことを決意。Bチームではキャプテンを務め、ファンサールが年間ノルマとして提示した「10ゴール10アシスト」をわずか3試合で達成。

[匿名さん]

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